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  • 秋葉総本殿可睡齋 秋葉総本殿可睡齋

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    所在地:袋井市久能2915-1 Webサイト TEL:0538-42-2121 アクセス:〇東海道本線をご利用の場合袋井駅下車、北口1番のりばより遠州森町行きまたは気多行きに乗車 「可睡斎入口」にて下車(約15分)〇新幹線をご利用の場合掛川駅または浜松駅にて下車 東海道本線のりかえ袋井駅下車 掛川駅よりタクシー約30分/浜松駅よりタクシー約40分〇高速道路をご利用の場合東名高速道路袋井ICより車で約5分 新東名高速道路森掛川ICより車で約15分〇富士山静岡空港富士山静岡空港より車で約40分 秋葉総本殿可睡齋は、家康公ゆかりのお寺で、曹洞宗屈指の名刹。幼い家康公を戦乱から救った十一代和尚は、家康公が浜松城主になった折、城に招かれたその席上で居眠りを始めたが、家康公は「和尚眠る可し」と言い、「可睡和尚」と愛称せられたことが可睡齋の名前の由来である。

  • 許禰神社(こねじんじゃ) 許禰神社(こねじんじゃ)

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    所在地:袋井市木原282 アクセス:JR袋井駅より車で約10分 徒歩約40分 許禰神社の周辺は、武田軍と徳川軍の久野氏とが三方原の戦いの前哨戦となる一戦を交えた木原畷と呼ばれる古戦場。境内には家康公が腰掛けたとされる石がある。また許禰神社には、浜松城築城を命じられ惣奉行・普請奉行の一人、木原吉次の一族が住んだと云われ、吉次は440石に出世し、徳川家の大工頭となっている。

  • 医王山油山寺 医王山油山寺

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    所在地:袋井市村松1 Webサイト TEL:0538-42-3633 アクセス:JR袋井駅より車で約10分東名袋井ICより車で約15分新東名森掛川ICより車で約20分東海道新幹線掛川駅より車で約20分富士山静岡空港より車で約60分 医王山油山寺は、701年に開山された真言宗のお寺である。武田軍との戦いの際、油山寺にたてこもっていた家康公が軍善坊大権利現に祈願すると神の姿が現れ、渡されたつり鐘を鉄砲にし、その鉄砲で家康公は戦に勝ったという言い伝えがある。

  • 閑田院 閑田院

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    所在地:御前崎市下朝比奈156-1 営業時間:8:30~17:00 定休日:不定 TEL:0537-86-2601 アクセス:車で東名高速道路菊川ICより約20分 閑田院は、1575年に織田・徳川連合軍と武田軍との間で雌雄を決する長篠の戦いを行った際、家康公に命じられ武田軍の調伏の大祈祷を行った。結果、織田・徳川連合軍の大勝に終わったため、徳川家の武運長久の祈祷寺とされたと伝えられている。

  • 左馬武神社 左馬武神社

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    所在地:御前崎市下朝比奈156-1 営業時間:8:30~17:00 定休日:不定 Webサイト TEL:0537-86-2601 アクセス:車で東名高速道路菊川ICより約20分 左馬武神社には、徳川四天王の一人井伊直政の命の恩人と呼ばれた新野左馬助親矩の墓と伝えられる石塔(五輪塔)がある。

  • 石雲院 石雲院

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    所在地:牧之原市坂口1251 定休日:年中無休 TEL:(牧之原市社会教育課)0548-53-2646 アクセス:東名吉田ICから車で15分 石雲院は、1455年に郷土の豪族・勝間田氏によって開創された曹洞宗の名刹。勝間田氏の衰退後は今川氏の庇護を受けたが、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、遠州地方をめぐる徳川軍と武田軍の争いが発生。1572年、兵火によって多くの堂宇・寺宝・記録等が焼失する。しかし、地元や末寺の人々から支援を受けて復興し、江戸幕府の成立後は、家康公に認められ遠州第5位の153石を誇る大寺となった。富士山静岡空港が間近に迫るが、境内は緑と静寂に包まれ、ゆったりとした雰囲気が流れている。1844年建築の山門は、日光東照宮の陽明門を模したとされる。

  • 平田寺 平田寺

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    所在地:牧之原市大江459 定休日:年中無休 TEL:0548-52-0492 アクセス:・東名相良牧之原ICから車で20分・バス停相良元橋から徒歩13分 平田寺は、1283年に開創した遠州地方で最も古い禅寺(臨済宗)の一つ。開山の龍峯宏雲禅師は、室町幕府の初代将軍・足利尊氏の叔父といわれる。相良地域の有力寺院として、今川氏、武田氏、徳川氏など数々の武将から尊崇された。1758年、田沼意次侯が相良藩主に就任すると、田沼家の御位牌を祀る香華寺として厚い庇護を受けた。現在の本堂(市指定文化財)は、1786年に再建されたもので、田沼家専用の玄関を備えた風格ある建物である。国宝「聖武天皇勅書」(非公開)や県指定文化財「平田寺宝塔」をはじめ、数々の貴重な歴史資料を所蔵している。

  • 許禰神社(きねじんじゃ) 許禰神社(きねじんじゃ)

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    所在地:周智郡森町三倉830 Webサイト TEL:0538-85-6316 アクセス:新東名高速道路「遠州森町スマートIC」から約20分新東名高速道路「森掛川IC」から約15分 許禰神社(きねじんじゃ)は、森町の北部の三倉を通る「秋葉街道」沿いに鎮座している。家康公から拝受したと伝えられる「天下和平不生禍亂」の短冊が奉られ、境内にはこれを写した記念石碑が建立されている。これは、三倉の郷士三倉久右衛門が家康公を匿ったことから拝領したと伝えられる。

  • 大平山 榮泉寺 大平山 榮泉寺

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    所在地:周智郡森町三倉707 Webサイト TEL:0538-85-6316 アクセス:新東名高速道路「遠州森町スマートIC」から約20分新東名高速道路「森掛川IC」から約15分 榮泉寺は、室町時代にあたる1466年創立。1574年の戦(犬居城を攻撃)に敗れた家康公は榮泉寺で負傷を療養し、その後、長篠の戦いに向け戦勝祈願を行った。1603年に征夷大将軍となった家康公は、榮泉寺に『天下和平災害不生禍亂』の直筆短冊を送り、三ツ葉葵を寺紋とすることを許した。

  • 実谷山 極楽寺 実谷山 極楽寺

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    所在地:周智郡森町一宮5709 営業時間:9:00~17:00 Webサイト TEL: 0538-89-7407 アクセス:新東名高速道路「遠州森町スマートIC」から約10分新東名高速道路「森掛川IC」から約15分 極楽寺は、別名あじさい寺とも呼ばれ、境内には約1万3千株ものあじさいが咲く。また、家康公の嫡男である信康が切腹した二俣城の「松の間」から移設された「石ずりの戸」を拝観することができ、町の文化財に指定されている。

  • 遠江國一宮 小國神社 遠江國一宮 小國神社

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    所在地:周智郡森町一宮 3956-1 Webサイト TEL: 0538-89-7302 アクセス:新東名高速道路「遠州森町スマートIC」から約7分新東名高速道路「森掛川IC」から約15分 小國神社は、三方ヶ原の戦いの折、家康公の願文と三条小鍛治宗近の太刀を奉り戦勝を祈願した。その後、武田軍の拠点とならないよう御神霊を移して火をつけたため社殿はすべて焼失した。その後、1575年の長篠の戦いで勝利を得た家康公は社殿を再建し、以後、徳川将軍家から社殿の改修・修復料を寄進された。1574年4月に犬居城攻略の道すがら家康公が参拝し、石に腰掛けて休憩されたと伝えられる。この石は、それ以来悲境をのりこえた「立ちあがり石」と言われ、人生再起や出世の御利益があると多くの人が訪れている。

  • 法多山尊永寺 法多山尊永寺

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    所在地:袋井市豊沢2777 Webサイト TEL:0538-43-3601 アクセス:JR袋井駅より車で約15分東名高速道路掛川ICより車で約20分東名高速道路袋井ICより車で約25分 法多山は由緒ある厄除け観音として知られており、今川氏、豊臣氏、徳川氏などの武将の信仰を得たことでも有名である。本坊前には家康公お手植えの松がある。

  • 西楽寺 西楽寺

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    所在地:袋井市春岡384 TEL:0538-48-6754 アクセス:JR袋井駅より車で約15分JR袋井駅下車、秋葉バス秋葉バス遠州森町行きまたは気多行きに乗車「山梨郵便局前」にて下車・徒歩約10分 西楽寺は、袋井市内最古の寺で、かつては今川氏の祈願所として重きを置かれていた。その後、徳川軍と武田軍との戦乱によって伽藍が焼失したが、家康公の寄進により復興したと伝えられている。家康公駒つなぎの桜(現在御衣黄)が方丈の庭に植えられている。

  • 妙恩寺 妙恩寺

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    所在地:浜松市東区天龍川町179 定休日:年中無休 Webサイト TEL:053-421-0314 アクセス:東海道本線天竜川駅から北へ徒歩約5分 妙恩寺は、家康公が岡崎から浜松へ進出する時に本陣を敷いた寺である。また、武田軍との一言坂の戦いで敗れた家康公が、浜松城へ逃げる途中で妙恩寺の天井裏に隠れたと伝えられている。食事を出された礼にと『丸に二引き』の寺紋を与えられ、時の住職・日豪とは囲碁をする仲になったと言う。金原法橋手植えの松・『法橋の松』は県指定天然記念物であり、子孫であり天竜川流域の治山・治水に尽力された金原明善、日本テレビの父と言われる高柳健次郎が眠る。

  • 清瀧寺 清瀧寺

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    所在地:浜松市天竜区二俣町二俣1405 TEL:053-925-3748 アクセス:■バス 遠鉄バス「二俣仲町」バス停から徒歩約15分 ■電車 天竜浜名湖鉄道「二俣本町駅」から徒歩約15分 ■タクシー 天竜浜名湖鉄道「二俣本町駅」タクシー乗り場から約5分遠州鉄道「西鹿島駅」タクシー乗り場から約10分 ■車 東名浜松ICより約30分新東名浜松浜北ICより約15分 清瀧寺は、家康公の嫡男である信康を供養するために建立された。信康は、織田信長に謀反の疑いをかけられ、1579年9月15日に二俣城で切腹し自害したという悲運の武将。翌年、信康の位牌堂を建立した家康公は、院内に流れる清涼な滝にちなんで、「清瀧寺」の名を与えた。

  • 元城町東照宮 元城町東照宮

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    所在地:浜松市中区元城町111-2 アクセス:遠鉄バス:浜松駅バスターミナルから市役所経由遠鉄バス、浜松城公園入口下車、徒歩すぐ遠州鉄道:遠州病院駅から徒歩13分 元城町東照宮は、家康公を祀るため1886年に創建された。社殿の扉や屋根には三つ葉葵の紋所が見られ、家康公を祭神としているお社であることが伺える。現在の場所には、もともとは今川氏の拠点である引間城があったが、1568年に三河から遠江へ侵攻してきた家康公により攻め落とされた。その後、家康公は城の敷地を拡大し、浜松城を築城した。

  • 浜松八幡宮 浜松八幡宮

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    所在地:浜松市中区八幡町2番地 営業時間:8:30~16:30(受付時間) 定休日:年中無休 Webサイト TEL:053-461-3429(代表) 053-544-7111 アクセス:遠州鉄道西鹿島線「八幡駅」下車 徒歩1分遠州鉄道バス 蒲・笠井方面 「文化芸術大学」停留所下車 徒歩3分JR浜松駅より 徒歩15分 浜松八幡宮は、938年に現在の地に遷され、勝運や立身出世などの神様として地域に親しまれている。凛とした空気が漂う境内には、樹齢1000年を超える御神木「雲立の楠」がある。三方ヶ原の戦いで敗走してきた家康公が、この楠の洞に逃げ込み追手から身を隠していたところ、突然雲が立ち上り、神霊が白馬に跨り浜松城へ飛び立つのを見て勇躍した、という伝説からこの名がついたといわれている。その後、家康公は八幡宮を徳川家代々の祈願所と定め、武運を祈願するようになった。境内には1714年に家康公を御祭神として勧請した摂社東照宮が祀られている。

  • 龍潭寺 龍潭寺

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    所在地:浜松市北区引佐町井伊谷1989 営業時間:9:00~16:30 定休日:8月15日、12月22~27日 Webサイト TEL:053-542-0480 アクセス:JR浜松駅から遠鉄バス 渋川行 約45分 「井伊谷宮前」下車、奥山行 約45分 「神宮寺」下車5分天竜浜名湖鉄道「金指駅」から車で約5分 龍潭寺は、寺伝によれば、奈良時代に行基によって開創され、平安時代から井伊氏の菩提寺であったとされいる。戦国時代には、井伊直平に帰依された黙宗瑞淵和尚を開山として迎え、1560年に桶狭間で戦死した井伊直盛の戒名から寺号を「龍潭寺」に変えたといわれている。また、龍潭寺第二世住職 南渓和尚は直平の子という説もあり、井伊直虎を“女城主”として立てるなど、井伊氏再興の陰の立役者として知られる人物である。井伊氏ゆかりの足跡は境内の至るところに点在し、直盛、直虎、直政をはじめとする井伊氏歴代の墓をはじめ、赤地に「井」の記が描かれた籠など、井伊氏拝領の品も見ることができる。また、龍潭寺山門を出て南に進むと、井伊氏初代 共保が生まれたとされる「共保公出生の井戸」が残っている。その他、江戸初期に造られた国指定名勝「龍潭寺庭園(池泉鑑賞式庭園)」、国指定重要文化財「宋版錦繍萬花谷」、県指定重要文化財「遊楽之図」など貴重な文化財が所蔵されている。悠久なる「井の国」の歴史とともに、井伊氏の起源と繁栄を見守り続けてきた龍潭寺。井伊氏を知る上で欠かすことのできない名所である。

  • 五社神社・諏訪神社 五社神社・諏訪神社

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    所在地:浜松市中区利町302-5 営業時間:9:00~17:00 Webサイト TEL:053-452-3001 アクセス:JR浜松駅より西へ1km、教育文化会館隣 ■徒歩・・約10分■バス・・遠鉄バス 佐鳴台団地 医療センター 大平台 行き→教育文化会館下車北へ約200m山の手 小豆餅 医大 せいれい 泉高丘 姫街道車庫 せいれいまわり 行き→伝馬町下車西へ約200m市役所 市営グランド 旭丘・都田 市役所 有玉南 医大 三ケ日 行き→伝馬町下車西へ約200m■車・・・・東名浜松インターより約20分東名浜松西インターより約20分 五社神社は、もともと浜松城内に祀られていたが、2代将軍秀忠公の産土神(うぶすながみ:生まれた土地を守護する神)として、家康公の命で現在の地に遷座した。また、諏訪神社は、3代将軍家光公の命により現在の場所に遷座。徳川家から崇敬されてきた両神社は、1960年に1つの神社として合祀された。子守り・子育ての神様としての信仰も厚く、現在では七五三の時期になると、綺麗に着飾った子どもたちや家族で賑わう。 両神社共に家康公を御祭神としてお祀りしている。

  • どうする家康 浜松 大河ドラマ館 どうする家康 浜松 大河ドラマ館

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    所在地:浜松市中区元城町102‐1 営業時間:10:00~17:00 定休日:年中無休 特設Webサイト 公式Twitter    TEL:050-3154-0830 アクセス:遠鉄バス:浜松駅バスターミナル1・15番のりば 徒歩:浜松駅から20分程度 家康公が築き、天下統一への足掛かりとなった浜松城に大河ドラマ館オープン! 詳細は特設WEBサイトや公式Twitterをご確認ください。

  • 高天神城 高天神城

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    所在地:掛川市上土方嶺向3136 Webサイト TEL:0537-21-1121(掛川市観光交流課) アクセス:電車:JR掛川駅北口3番乗り場から掛川大東浜岡線「浜岡営業所」行又は「大東支所」行で「土方」下車、徒歩約15分(追手門口) 車 :東名高速道路掛川I.Cより約15分 高天神城は、東海道と遠州灘に面した湊を結ぶ要衝に位置し、戦国期には「高天神城を制す者は遠江を制す」と云われた難攻不落の城。16世紀に築城され、今川氏の領有を経て、徳川軍と武田軍の間で激しい争奪戦が繰り返された。鬱蒼とした山中には今も激戦を物語る曲輪・土塁・竪堀・横堀等の城郭遺構が良好に遺されている。

  • 横須賀城 横須賀城

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    所在地:掛川市西大渕5383 Webサイト TEL:0537-21-1121(掛川市観光交流課) アクセス:電車:JR袋井駅3番乗り場から秋葉中遠線「大東支所」行又は「横須賀車庫前」行で「七軒町」下車、徒歩約5分車 :東名高速道路掛川I.Cより約30分 横須賀城は、16世紀後半、家康公が高天神城奪還のために築いたことに始まる。高天神城の攻囲のために築かれた六砦をはじめとする20にも及ぶ城砦(陣城)への兵士・物資供給のための兵站基地として機能した。豊臣秀吉による天下統一後、豊臣配下の渡瀬繁詮が入城し、天守・石垣普請、城域の拡張、城下町の整備等により近世城郭としての体裁を整えた。1981年国史跡に指定され、本丸・西の丸を中心に整備され、丸石による石垣が復元されている。

  • 掛川古城と龍華院大猷院霊屋 掛川古城と龍華院大猷院霊屋

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    所在地:掛川市掛川1138-24 Webサイト TEL:0537-22-1146 アクセス:電車:JR掛川駅より徒歩10分車:東名高速道路掛川I.Cより約10分 掛川古城は15世紀末、今川氏の重臣朝比奈氏によって築城された。1568年の家康公による掛川城攻めに際しては、今川軍の出城に位置付けられた。土塁や大堀切は、往時の城郭としての雄姿を今も雄弁に物語る。本曲輪には、掛川城主北条氏重が、三代将軍家光の霊を祀り、北条家の存続を願った霊廟(龍華院大猷院霊屋)が1656年に建立された。1822年に再建。

  • 掛川城 掛川城

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    所在地:掛川市掛川1138-24 定休日:年中無休 Webサイト TEL:0537-22-1146 アクセス:電車:JR掛川駅より徒歩7分車:東名高速道路掛川I.Cより約10分 掛川城は、15世紀末、駿河守護今川氏の遠江進出の足掛けとして築かれたことにはじまる。家康公による遠江制圧にあっても欠くことのできない城郭であった。1568年、家康公は今川氏真と重臣朝比奈氏のこもる掛川城を攻撃した。掛川城を取り囲むように15にも及ぶ城砦を築き、半年間におよぶ攻防を経て翌年、掛川城を奪取した。その後、城代として重臣石川家成を置き、対武田氏との橋頭堡に位置づけ、本丸虎口周辺をはじめとする大改修を行った。1590年、豊臣秀吉による天下統一後、掛川城には豊臣配下の山内一豊が入城し、天守・石垣普請、城域の拡張、城下町の整備等により近世城郭としての体裁を整えた。天守は、1994年日本初の本格的木造として復元された。

  • 天方城跡(城ヶ平公園) 天方城跡(城ヶ平公園)

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    所在地:周智郡森町向天方 Webサイト TEL:0538-85-6316 アクセス:新東名高速道路「遠州森町スマートIC」から約20分新東名高速道路「森掛川IC」から約15分 1569年山内山城守が城主の時、家康公に攻められ、山内氏は家康公の家臣になった。しかし、1572年武田信玄の攻撃を受け、山城守は戦わずして降伏した。家康公は翌年、再度兵を率いて天方城を攻撃し、落城させた。現在、城跡は公園として整備され、展望台が設置されている。

  • 久野城址 久野城址

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    所在地:袋井市鷲巣1135他 アクセス:JR袋井駅より車で約10分東名高速道路袋井ICより車で約10分 久野城は、1492~1501年に、久野宗隆によって築城された平山城。その後、城主となった久野宗経は今川義元の西進作戦に、家康公とともに参戦。その後、今川家が衰退し、家康公が今川氏真の立てこもる掛川城を攻めた際には、当時の久野城主久野宗能は家康公に味方した。1572年、久野城は三方ヶ原の戦いの前哨戦として武田軍に攻められるが、久野宗能は守り切り落城しなかった。本能寺の変の後に、家康公が堺から岡崎に逃げ延びた伊賀越えの時には、久野宗能の長男、宗朝が同行して逃げ切った。その後、宗能は武田勝頼の高天神城攻めにも徳川軍として参戦するが、転封先での不手際で改易される。その後、家康公の一言で、隠居料として再び久野城主となる。久野城は、その後、家康公の甥、北条氏重が城主に任命された。

  • 城之崎城 城之崎城

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    所在地:磐田市見付190 城山球場 Webサイト アクセス:JR磐田駅前北口バスターミナル 遠鉄バス「中ノ町・磐田営業所方面行き」見付下車、徒歩6分 家康公は、1569年から見付の城之崎(現城山球場周辺)に城を築き始めた。しかし、東から攻めてくる武田軍に対し、天竜川を背にするということで戦略上不利と考え、翌年には築城途中で造営を中止し、浜松城に本拠を移したといわれている。城之崎城跡には土塁や空堀が一部残っている。

  • 社山城跡 社山城跡

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    所在地:磐田市社山471‐2、472 アクセス:JR磐田駅より遠鉄バス「二俣山東行き」慈眼寺入口下車、徒歩約25分で山頂登り口、そこから約15分で山頂 社山城は、社山の標高130メートルあたりに築かれた平山城である。築城年代は不明だが、15世紀末には存在していた。16世紀初頭には斯波氏と今川氏の抗争の場となり、のちに今川氏の支配下に置かれた。桶狭間の戦いで今川氏が敗れ、勢力が弱まった後には徳川氏の支配下に移ったが、1572年、武田軍の遠江侵入により、徳川軍と武田軍による抗争の場となった。城跡には曲輪、堀切、土塁などの遺構が残されている。

  • 鳥羽山城跡 鳥羽山城跡

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    所在地:浜松市天竜区二俣町二俣 Webサイト TEL:053-922-0027 アクセス:【公共交通機関】天竜浜名湖鉄道二俣本町駅から徒歩10分。遠州鉄道バス停鳥羽山公園入口から徒歩約10分。【自家用車等】駐車場有。 鳥羽山城は、東西1㎞におよぶ独立丘陵を利用して構築された山城である。独立丘陵には3つの頂部があり、西群・中央群・東群の3つの遺構群に分けることができる。西群は二俣城と同じく堀尾氏により石垣が構築され、本丸内には、枯山水式庭園が造られている。鳥羽山城は、迎賓機能を備えた特別な空間として整備されたと考えられる。軍事的な要塞としての特徴を強く持つ二俣城と2つで1つの城を構成する「別城一郭」と呼ばれる形態を採用した城といえる。鳥羽山城跡は現在、二俣城跡とともに国の史跡に指定され保護されている。

  • 二俣城跡 二俣城跡

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    所在地:浜松市天竜区二俣町二俣 Webサイト TEL:053-922-0027 アクセス:【公共交通機関】天竜浜名湖鉄道二俣本町駅から徒歩10分。遠州鉄道バス停城下通から徒歩約7分。【自家用車等】駐車場有。 二俣城は、天竜川と旧二俣川により三方を囲まれた天然の要害の地に築かれた山城である。徳川軍と武田軍による激しい争奪戦が繰り広げられた城郭として知られている。二俣城は丘陵を階段状に加工し、本丸を頂点に主要な施設を配置している。現在、本丸や二の丸、西の丸等主要な施設が想定される場所に土塁や堀、石垣が構築された様子を見ることができる。今川期に城郭の原形が整えられ、堀尾氏により高い石垣や瓦葺き建物を備える城郭に改築された。天守台上からは天竜川が一望でき、天竜川を利用した水上交通を意識した城でもある。二俣城跡は現在、鳥羽山城跡とともに国の史跡に指定され保護されている。

  • 犬居城跡 犬居城跡

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    所在地:浜松市天竜区春野町堀之内 TEL:053-983-0001 アクセス:【自家用車】国道362号沿いの春野ふれあい公園駐車場から徒歩30分。 犬居城は、承久の乱後に山香庄の地頭として入部した天野氏の本拠地に築かれた城である。天野氏は戦国時代、今川氏の配下の国衆として活躍した。1560年の桶狭間の戦いの後、遠江に進出した家康公に従うが、武田軍が遠江へ進出した際には、武田軍の先導を務めた。1575年、長篠の戦いを経て武田軍が衰退すると、1576年に徳川軍の攻撃を受け落城した。現在、曲輪や堀切、土橋などの遺構が残る。これらの遺構は、天野氏が武田氏の支援を受けて整備したものと考えられる。犬居城跡は現在、静岡県の史跡に指定され保護されている。

  • 高根城跡 高根城跡

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    所在地:浜松市天竜区水窪町地頭方184 Webサイト TEL:053-982-0001 アクセス:【公共交通機関】JR飯田線向市場駅から徒歩30分。【自家用車等】駐車場有。徒歩20分。 高根城は、遠江最北端に位置する山城である。この地を拠点とした豪族奥山氏が南北朝時代、後醍醐天良の孫である由機良親二を守るために築いたとされる。戦国時代、今川氏・徳川氏・武田氏の勢力争いの狭間で内部分裂を起こすが、1572年に武田軍が遠江に進出した際には武田軍に加わった。中世の山城としては全国で初めて、全面的な発掘調査が行われ、それによって得られた成果に基づき城門・井楼櫓・礎石建物・木柵などが再現された。高根城跡は現在、浜松市の史跡に指定され保護されている。

  • 浜松城 浜松城

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    所在地:浜松市中区元城町100-2 営業時間:8:30~16:30 定休日:12月29日、30日、31日 Webサイト TEL:053-453-3872 アクセス:遠鉄バス:浜松駅バスターミナル13番のりば自家用車:浜松駅方面より国道152号を北進、信号「市役所前」の北の信号右折 浜松城は、家康公が武田軍からの侵攻に備え、1570年に築城した。家康公が浜松城で過ごした29歳~45歳までの17年間は、三方ヶ原の戦いや姉川の戦い、長篠の戦いなどがあり、生涯で最も戦いに明け暮れた時期であった。歴代の浜松城主には、水野忠邦のように幕府の要職に登用された者も多かったことから、後に「出世城」と呼ばれるようになった。城郭の石垣は、当時の工法である野面積みで造られた様子が見られ、天守閣を登れば、浜松市街を一望することが出来る。

  • 古戦場一ノ瀬の戦い 古戦場一ノ瀬の戦い

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    所在地:周智郡森町三倉 地内 Webサイト TEL:0538-85-6316 アクセス:新東名高速道路「遠州森町スマートIC」から約20分新東名高速道路「森掛川IC」から約15分 森町の北部の三倉を通る道は、古くから遠江国(静岡県)と信濃国(長野県)を結ぶ塩の道と呼ばれ、物資の交易に欠かせない街道であった。また、火伏せの神 秋葉山への表参道として秋葉街道と呼ばれ、多くの道者が行き交う信仰の道でもあった。1574年に家康公が犬居城を攻撃するも、大雨により気田川が増水し、退却を余儀なくされ、武田軍の天野氏に追撃を受け命からがら逃げのび、天方城(森町向天方)にたどり着いた。現在は、戦国夢街道ハイキングコースとして整備されている。

  • 一言坂の戦跡 一言坂の戦跡

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    所在地:磐田市一言2918-2地先 県道脇 Webサイト アクセス:(自家用車)磐田警察署から西へ500M 1572年、三ケ野で武田軍との戦いに敗れた徳川軍は浜松城へ退却する途中、一言坂で追いつかれ激しい戦いが行われた。殿を務めた本多平八郎が獅子奮迅の活躍をし、家康公を無事浜松城まで逃がしたといわれている。

  • 三方ヶ原古戦場 三方ヶ原古戦場

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    所在地:浜松市北区根洗町784(三方原墓園内) アクセス:JR浜松駅より遠鉄バス⑮乗り場から約35分。「三方原墓園」下車 三方ヶ原の戦いは、1573年、徳川軍と武田軍が浜松市郊外の三方原台地で激突した戦い。若き日の家康公が生涯最大といわれる大敗北を喫した戦いで、最終的には徳川軍に、およそ1,000人もの戦死者を出したといわれている。戦いがあった詳細な場所については、三方原台地であるということ以外、明らかになっていないが、1984年、その歴史を長く伝えようと「三方原歴史文化保存会有志」の手により、三方原の一角であるこの地に碑が建立された。

  • 犀ヶ崖古戦場・犀ヶ崖資料館 犀ヶ崖古戦場・犀ヶ崖資料館

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    所在地:浜松市中区鹿谷町25-10 営業時間:9:00~17:00 定休日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、国民の祝日の翌日、12月29日~1月3日 Webサイト (浜松観光ボランティアガイドの会HP) TEL:053-472-8383 アクセス:遠鉄バス浜松駅前バスターミナルより①番ポール「舘山寺」行 → 「浜松北高」下車⑮番ポール「奥山・気賀」行、「和合・高丘」行 → 「浜松北高」、「さいが崖」下車 犀ヶ崖は、浜松城の北側約1㎞にある断崖で、三方ヶ原古戦場として1939年に静岡県指定史跡となっている。1573年の三方ヶ原の戦いで、武田軍に大敗した家康公は、命からがら浜松城に逃げ込んだ。その夜、徳川軍は一矢を報いようと犀ヶ崖近くで野営する武田軍を急襲、地理に不案内な武田軍は混乱し、崖に転落して多くの死者を出したと伝えられている。また、この時の戦死者の供養が「遠州大念仏」の起源とされ、現在も毎年7月15日に行われている。

  • 大鐘家 大鐘家

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    所在地:牧之原市片浜1032 営業時間:9:00~17:00(季節により異なるため要問合せ) 定休日:1月1日~1月3日 Webサイト TEL:0548-52-4277 アクセス:・東名相良牧之原ICから車で15分・バス停片浜から徒歩5分 大鐘家の建物は、遠州地方で最も古い古民家の一つ。主屋は約300年前、長屋門は約240年前の建築と推定され、国の重要文化財に指定されている。また、長屋門前には、幕府の老中で相良藩主でもあった田沼意次侯が整備したという田沼街道の一部が残る。大鐘家は、江戸時代から代々大磯村の庄屋をつとめた家柄で、先祖の「大鐘籐八郎貞綱(おおがねとうはちろうさだつな)」は、織田家中随一の猛将・柴田勝家の家臣として仕えたといわれている。牧之原市の花でもあるあじさい(5月~7月)をはじめ、酔芙蓉(9月~10月)や吊るし雛(1月~5月)など、季節ごとに様々な景色を楽しむことができる。

  • 獅子ヶ鼻砦跡 獅子ヶ鼻砦跡

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    所在地:菊川市大石1番(蓮池公園内北側) 営業時間:いつでも 定休日:なし Webサイト TEL:0537-35-0936 アクセス:JR菊川駅より車で20分、菊川インターチェンジより車で15分、富士山静岡空港より車で35分 獅子ヶ鼻砦は、家康公が1580年頃に高天神城包囲攻撃するために築いたもの。大須賀康高が守っていたといわれ、小笠山砦・中村砦・能ヶ坂砦、火ヶ峰砦・三井山砦などともに築いた6砦の一つ。蓮池公園からの階段を登れば展望台に出る。砦跡からの展望はすばらしく、特に東方に富士山を望む景色は絶景。

  • 高天神城攻めの六砦(中村砦) 高天神城攻めの六砦(中村砦)

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    所在地:掛川市入山瀬852(小笠山砦跡) Webサイト TEL:0537-21-1121(掛川市観光交流課) アクセス:・小笠山砦:掛川I.Cより約10分、小笠神社駐車場より徒歩約15分・能ケ坂砦:掛川市小貫・火ケ峰砦:掛川市中・獅子ヶ鼻砦:掛川I.Cより約20分・中村砦:掛川市中・三井山砦:掛川市大坂 高天神城攻めの六砦は、家康公が武田軍の高天神城奪還のため、1578年から高天神城を包囲するように築かれた城砦群(陣城)。実際には20にも及ぶ城砦が築かれ、その内の主な小笠山砦・能ケ坂砦・火ケ峰砦・獅子ヶ鼻砦・中村砦・三井山砦が六砦と呼ばれる。この攻囲が功を奏し、1580年に難攻不落と呼ばれた高天神城は落城、徳川軍が奪還した。

  • 高天神城攻めの六砦(三井山砦) 高天神城攻めの六砦(三井山砦)

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    所在地:掛川市入山瀬852(小笠山砦跡) Webサイト TEL:0537-21-1121(掛川市観光交流課) アクセス:・小笠山砦:掛川I.Cより約10分、小笠神社駐車場より徒歩約15分・能ケ坂砦:掛川市小貫・火ケ峰砦:掛川市中・獅子ヶ鼻砦:掛川I.Cより約20分・中村砦:掛川市中・三井山砦:掛川市大坂 高天神城攻めの六砦は、家康公が武田軍の高天神城奪還のため、1578年から高天神城を包囲するように築かれた城砦群(陣城)。実際には20にも及ぶ城砦が築かれ、その内の主な小笠山砦・能ケ坂砦・火ケ峰砦・獅子ヶ鼻砦・中村砦・三井山砦が六砦と呼ばれる。この攻囲が功を奏し、1580年に難攻不落と呼ばれた高天神城は落城、徳川軍が奪還した。

  • 高天神城攻めの六砦(小笠山砦) 高天神城攻めの六砦(小笠山砦)

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    所在地:掛川市入山瀬852(小笠山砦跡) Webサイト TEL:0537-21-1121(掛川市観光交流課) アクセス:・小笠山砦:掛川I.Cより約10分、小笠神社駐車場より徒歩約15分・能ケ坂砦:掛川市小貫・火ケ峰砦:掛川市中・獅子ヶ鼻砦:掛川I.Cより約20分・中村砦:掛川市中・三井山砦:掛川市大坂 高天神城攻めの六砦は、家康公が武田軍の高天神城奪還のため、1578年から高天神城を包囲するように築かれた城砦群(陣城)。実際には20にも及ぶ城砦が築かれ、その内の主な小笠山砦・能ケ坂砦・火ケ峰砦・獅子ヶ鼻砦・中村砦・三井山砦が六砦と呼ばれる。この攻囲が功を奏し、1580年に難攻不落と呼ばれた高天神城は落城、徳川軍が奪還した。

  • 高天神城攻めの六砦(能ケ坂砦) 高天神城攻めの六砦(能ケ坂砦)

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    所在地:掛川市入山瀬852(小笠山砦跡) Webサイト TEL:0537-21-1121(掛川市観光交流課) アクセス:・小笠山砦:掛川I.Cより約10分、小笠神社駐車場より徒歩約15分・能ケ坂砦:掛川市小貫・火ケ峰砦:掛川市中・獅子ヶ鼻砦:掛川I.Cより約20分・中村砦:掛川市中・三井山砦:掛川市大坂 高天神城攻めの六砦は、家康公が武田軍の高天神城奪還のため、1578年から高天神城を包囲するように築かれた城砦群(陣城)。実際には20にも及ぶ城砦が築かれ、その内の主な小笠山砦・能ケ坂砦・火ケ峰砦・獅子ヶ鼻砦・中村砦・三井山砦が六砦と呼ばれる。この攻囲が功を奏し、1580年に難攻不落と呼ばれた高天神城は落城、徳川軍が奪還した。

  • 高天神城攻めの六砦(火ヶ峰砦) 高天神城攻めの六砦(火ヶ峰砦)

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    所在地:掛川市入山瀬852(小笠山砦跡) Webサイト TEL:0537-21-1121(掛川市観光交流課) アクセス:・小笠山砦:掛川I.Cより約10分、小笠神社駐車場より徒歩約15分・能ケ坂砦:掛川市小貫・火ケ峰砦:掛川市中・獅子ヶ鼻砦:掛川I.Cより約20分・中村砦:掛川市中・三井山砦:掛川市大坂 高天神城攻めの六砦は、家康公が武田軍の高天神城奪還のため、1578年から高天神城を包囲するように築かれた城砦群(陣城)。実際には20にも及ぶ城砦が築かれ、その内の主な小笠山砦・能ケ坂砦・火ケ峰砦・獅子ヶ鼻砦・中村砦・三井山砦が六砦と呼ばれる。この攻囲が功を奏し、1580年に難攻不落と呼ばれた高天神城は落城、徳川軍が奪還した。

  • 大日堂(物見の松) 大日堂(物見の松)

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    所在地:磐田市三ケ野1226‐1  アクセス:JR磐田駅前北口バスターミナル 遠鉄バス「磐田営業所行き」磐田営業所下車、徒歩15分 1572年、武田軍は木原(袋井市)と西島(磐田市)に数万の軍を敷き、三ケ野まで偵察に来た3千の徳川軍を攻撃した。大日堂には、偵察に来た本多平八郎が木原の武田軍を偵察したといわれる物見の松があった。

  • 家康公奉納の鐘(宣光寺) 家康公奉納の鐘(宣光寺)

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    所在地:磐田市見付1340‐1 Webサイト TEL:(宣光寺)0538-32-2489 アクセス:JR磐田駅前北口バスターミナル 遠鉄バス「磐田市立病院方面行き」旧見付学校下車、徒歩5分 梵鐘は、池ノ間(鐘の胴部)に陰刻された銘文から、家康公が施主となり、1587年に宣光寺地蔵菩薩のために寄進されたものであることがわかる。家康公によって中泉御殿が造営され、遠江支配の関係から宣光寺地蔵菩薩へこの梵鐘を寄進したものと考えられる。見付宿は、近世以降、磐田郡に属すが、梵鐘の銘文には、見付周辺の郡名である「豊田郡」と記されている。

  • 伝酒井の太鼓(磐田市旧見付学校) 伝酒井の太鼓(磐田市旧見付学校)

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    所在地:磐田市見付2452 営業時間:9:00~16:00 定休日:毎週月曜日(ただし月曜日が祝日または振替休日にあたるときは開館)、国民の祝日の翌日(ただしこの日が土・日・月曜日にあたるときは火曜日が休み)、年末年始(12月29日~1月3日) Webサイト TEL:0538‐32‐4511 アクセス:JR磐田駅前北口バスターミナル 遠鉄バス「磐田市立病院方面行き」旧見付学校下車、徒歩1分 1572年に武田軍は遠江へ侵攻し、徳川軍と衝突し三方ヶ原の戦いとなった。この戦いで徳川軍は敗北し、浜松城まで逃げ帰った。武田軍は徳川軍を追走し、城門まで迫ってきた。しかし、浜松城の城門が開かれ、酒井忠次によって打ち鳴らされた櫓門の太鼓の音により、徳川軍の策略があると案じた武田軍が退却したとされている。この時に打ち鳴らされた太鼓が「酒井の太鼓」と伝えられている。この太鼓は1868年に浜松藩国替の際に民間に払い下げられ、1875年の見付学校の開校を機に学校に寄贈された。

  • 家康公お手植えのソテツ 家康公お手植えのソテツ

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    所在地:磐田市国府台3‐1 磐田市役所 アクセス:JR磐田駅より遠鉄バス「ららぽーと磐田/二俣山東行き」磐田市役所下車、徒歩3分 磐田市内の中泉(御殿)地内に小笠寺三仭坊という寺院があり、家康公の信仰が厚かった。御殿造営の際、家康公の命により寺院を移転し、その時にソテツを寄進されたと伝えられる。その後、1942年に三仭坊が七軒町の大乗院と合併することとなった時、磐田町役場(現磐田市役所)の敷地内にソテツが寄贈された。

  • 旧中泉御殿裏門(西願寺) 旧中泉御殿裏門(西願寺)

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    所在地:磐田市中泉254‐1 TEL:(西願寺)0538-32-4800 アクセス:JR磐田駅北口から徒歩10分 1584年ごろ、家康公は伊奈忠次に命じて、中泉の砦跡に鷹狩りの際の静養施設としての御殿を造った。その後、中泉御殿は1670年に廃止され、表門は西光寺へ、裏門は西願寺に移築されたと伝えられる。この裏門は、主要な柱間の距離約9尺6寸(約2.9メートル)を測る1間1戸の薬医門である。表門と比べると小さく作られている。

  • 旧中泉御殿表門(西光寺) 旧中泉御殿表門(西光寺)

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    所在地:磐田市見付3353-1 Webサイト TEL:(西光寺)0538-32-4216 アクセス:JR磐田駅北口より、遠鉄バス「磐田営業所行き」加茂川下車、徒歩3分。 1584年ごろ、家康公は伊奈忠次に命じて、中泉の砦跡に鷹狩りの際の静養施設として御殿を造った。1670年にその中泉御殿は廃止され、表門は西光寺へ、裏門は西願寺に移築されたと伝えられる。この門は3間1戸の薬医門で、主要な柱間の距離は約11尺4寸(3.45メートル)で木鼻や笈型などに工夫を凝らしており、御殿の表門にふさわしい門といえる。

  • 天竜川渡船場跡 天竜川渡船場跡

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    所在地:磐田市池田 アクセス:(自家用車)豊田西保育園南側道路を西へ160M 池田船方衆による天竜川の渡船は中世から行われていた。一言坂の戦に敗れ、武田軍に追われていた家康公が、池田船方衆による渡船によって危急を逃れた。その恩賞として、1573年に家康公は池田船方衆に朱印状を下し、天竜川における渡船権を与えた。

  • 特別史跡新居関跡 特別史跡新居関跡

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    所在地:湖西市新居町新居1227-5 営業時間:9:00~16:30 定休日:毎週月曜(休日の場合開館)、年末年始 ※8月は無休 Webサイト Instagram TEL:053-594-3615 アクセス:【車の場合】東名高速道路浜松西IC・三ヶ日ICより車で約30分、浜名バイパス新居弁天ICより車で約10分【電車の場合】JR新居町駅南口から西へ徒歩約8分 新居関所は、江戸の防衛を目的に、1600年家康公によって設置された。当初は浜名湖の今切口に近い場所にあったが、災害により2度の引越しを行い、1708年に現在地へ移転した。1869年の廃関令により、当時全国に53ヶ所存在していた関所のほとんどが取り壊されたが、新居関所はその後も学校や役場として利用されたため、全国で唯一関所建物が現存している。1955年に国の特別史跡に指定された。構内には現存する関所建物である面番所や復元建物が展示されている。また、新居関所や新居宿に関する展示を行う「新居関所史料館」が併設している。

  • 気賀関所 気賀関所

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    所在地:浜松市北区細江町気賀4577 営業時間:9:00~16:30 定休日:なし(年末年始は休所の場合あり) Webサイト TEL:053-523-2855 アクセス:自家用車:東名高速 浜松西インター・三ヶ日インターより15分鉄道:天竜浜名湖鉄道 気賀駅より徒歩3分 気賀関所は、1601年に家康公によって創設されたといわれている。気賀関所では、箱根や新居の関所とともに江戸警護の重要拠点として「入り鉄砲に出女」(江戸への鉄砲の持ち込みと人質として江戸に住まわせていた大名の妻子などが国へ逃げ帰ること)の監視を中心に旅人や荷物を厳しく取り調べた。現在の施設は、1990年、元の場所から600mほど西に再建。関所の出入口「冠木門」や旅人や荷物の取り調べを行った「本番所」などの建物が復元されているほか、江戸時代の駕籠や通行手形など、貴重な資料も展示されている。

  • 中村家住宅 中村家住宅

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    所在地:浜松市西区雄踏町宇布見4912-1 営業時間:9:30~16:30(受付16:00まで) 定休日:月、火、水、木曜日 ※12/28~1/4含む TEL:053-596-5585 アクセス:バス:浜松駅から宇布見山崎線「宇布見領家バス停」下車 南へ徒歩1分電車:東海道本線舞阪駅下車 北へ徒歩20分自家用車:東名浜松西インターから南へ15分 中村家住宅は、1688年頃に建てられた庄屋屋敷である。中村家は、1568年頃に18代目正吉から家康公に仕えた。1574年、家康公の側室であるお万の方が、当屋敷で家康の第二子である於義丸(後の結城秀康)を出産し、その時の胞衣(後産)を埋めた胞衣塚が現存している。国の重要文化財である主屋は、2001~2003年に解体復元したもの。

  • 浜松市博物館 浜松市博物館

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    所在地:浜松市中区蜆塚四丁目22-1 営業時間:9:00~17:00 定休日:月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始(12月29日~1月3日)、祝日の翌日、その他臨時休館日あり Webサイト TEL:053-456-2208 アクセス:遠鉄バス:浜松駅バスターミナル2番のりばから「蜆塚・佐鳴台行」で「博物館」下車すぐ自家用車:浜松駅方面から県道62号(雄踏バイパス)を西に進み、「イオン浜松西」の交差点を右折して約2km。 浜松市博物館は、隣接する国指定史跡蜆塚遺跡の出土品や調査成果を中心に、浜松市内の原始から近現代までの歴史を展示資料とともに紹介している。常設展示室では、家康公の書状や浜松城跡の出土品、徳川十六将図などの資料のほか、戦国時代や江戸時代の浜松城と城下町を推定復元したジオラマなども展示している。