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  • 舛屋薬局 舛屋薬局 no name

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    文久2年(1862)創業。壁にデザインされた家印は、本家・那波三郎右衛門家の家印「一に三角」に「○」が付加されたもの。店内には当時の掛け看板がたくさん飾られています。 URL オフィシャルサイト

  • 竈(かまど)神社 竈(かまど)神社 no name

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    寛永2年(1625)創建の神社で、竈を守護する神が祀られています。本殿の頭抜に彫られている龍の表情が素敵な、相染新田の鎮守社です。相染という名は、馬頭観音を祀る「宗善社」が由来と言われています。神社の前にある共同井戸は、かつて主婦たちのたまり場だったのではないでしょうか。境内には小さな公園が併設されているので、まちあるきのひとやすみにどうぞ。 URL オフィシャルサイト

  • 土崎神明社 土崎神明社 no name

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    天照大神を祀る土崎湊の総鎮守。土崎の肝煎・川口惣治郎の氏神としていた神明様を、元和6年(1620)に湊城の跡地に遷座したことが始まりとされます。社殿は平成19年に改築され、とても綺麗です。境内には雪見灯籠や弾の形をした石碑などが点在しています。また末社も多く祀られており、大国主神社や西宮神社、稲荷神社、番匠神社などがあります。キティちゃん御守りにも注目! URL オフィシャルサイト

  • 愛宕(あたご)神社 愛宕(あたご)神社 no name

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    永享10年(1438)に、安東康季が建立したと伝えられる神社。当時の土崎地域のなかでも標高が高い場所に建てられたと考えられます。鎮火・防火の神を祀る神社として鎮座していましたが、仏僧が入ったことにともなって安置した地蔵菩薩を「勝利地蔵」と呼んで武運の神として祀りました。地元では「愛宕さん」の愛称で親しまれています。また境内には、愛徳稲荷神社も鎮座しています。

  • 正光寺(しょうこうじ) 正光寺(しょうこうじ) no name

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    浄土真宗大谷派の寺院。明治27年に、17世泰同の代に火災で焼失し、寺の由緒について詳細は不明です。敷地内には二尊堂という宝塔があり、中には釈尊像が収められています。

  • 蒼龍寺(そうりゅうじ) 蒼龍寺(そうりゅうじ) no name

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    現在の蒼龍寺が建つ場所は、安東氏の菩提寺である真言宗「湊福寺」の跡地です。慶長7年(1602)の国替えで、安東氏が常陸国に転封となり、湊福寺は無住となりました。しかし延宝元年(1673)頃、曹洞宗「蒼龍寺」として再興され、今日に至ります。本堂は平成20年に増改築され、新しく生まれ変わっています。敷地内には、鐘楼や保存樹のケヤキもあります。門でお地蔵さんが迎えてくれ、境内を入ってすぐのところに祀られている六地蔵には、カラフルな前掛けが付けられています。 URL オフィシャルサイト

  • 平和を祈る乙女の像 平和を祈る乙女の像 no name

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    乙女の像は、土崎地区に11ある土崎空襲被爆者慰霊碑のうち、最初に建立された碑です。子どもを失った母親たちの思いを表現しています。【土崎空襲とは】終戦前夜の昭和20年8月14日の22時30分から翌15日の3時30分まで、土崎は米軍機による激しい爆撃を受けました。土崎空襲は、日本で最後の空襲となりました。 URL オフィシャルサイト

  • 西船寺(さいせんじ) 西船寺(さいせんじ) no name

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    延宝8年(1680)に堺の廻船問屋・大西氏が、海難犠牲者の供養のため、一宇の建立を発願したのが西船寺の始まりとされています。明治末から大正にかけてチベットで仏教を修行した多田等観(ただとうかん)は、西船寺の生まれです。また、戦前を代表する歌手・東海林太郎も境内に眠っています。敷地内にある鐘突堂では、大晦日に鐘を突くことができます。

  • 正善院(しょうぜんいん) 正善院(しょうぜんいん) no name

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    正善院は、湊城主・安東氏の祈願所として、真言宗京都智山派に属する宥宗によって開山されたと言われていますが、明確な年代は不明です。敷地内には四国八十八箇所のお砂踏みもあります。

  • 有限会社松田(酒店) 有限会社松田(酒店) no name

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    昔ながらの看板が目をひく酒屋。敷地内には、平成18年まで、JRと賃貸借契約を結び、個人名を冠した全国でも珍しい踏切「松田踏切」がありました。明治期から100年余にわたり近隣住民が利用してきた、いわば“プライベート踏切”です。「100年間ありがとう」と書かれたタオルを作るなど、愛着のある踏切でした。同敷地内には稲荷さんもたたずんでいます。 URL オフィシャルサイト

  • 相染(そうぜん)神明社 相染(そうぜん)神明社 no name

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    創建は不詳ですが、中世・安東氏の時代に創建されたと伝えられる歴史ある神社。元禄3年(1690)頃の穀丁、相染方面の飛砂(とびすな)で砂に埋もれ、社殿が失われてしまったため、現在地に遷座・再建したとされています。歴史を感じる境内には、たくさんの塚があります。 URL オフィシャルサイト

  • 多聞院(たもんいん) 多聞院(たもんいん) no name

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    多聞院は、土崎湊の日本海を一望できる小高い丘に、貞観2年(860)〜3年頃に開創されました。敷地内に北前船のいかりが置かれていたり、本堂に北前船の部材で作られた扁額が飾られていたりと、江戸時代の土崎湊を感じられるお寺です。 URL オフィシャルサイト

  • 金刀比羅(ことひら)神社 金刀比羅(ことひら)神社 no name

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    社伝によると、宝暦元年(1751)に土崎の沖合いでシケに遭った船頭が、海神の導きにより無事入港することができました。その折、積荷の中にあった神面をご神体とし、若狭国西津の船主・古川谷嘉太夫が、讃岐国金比羅宮の御祭神である大物主命を勧請して、土崎港に1社を造営したのが創祀と言われています。境内には廻船問屋の間杉五郎八の句碑や、松田酒屋さんの鏝絵と同じ左官屋さん(秋田谷金治氏)が作製した額をつけた鳥居があります。格天井が美しい社殿の中には、笏谷石(しゃくだにいし)で作られた狛犬がひっそりたたずんでいます。 URL オフィシャルサイト

  • 虚空蔵尊堂(こくぞうそんどう) 虚空蔵尊堂(こくぞうそんどう) no name

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    旧土崎湊町の最南端に位置し、このあたりは眺望が良く土崎湊の名所だったそう。虚空蔵尊堂は、穀保町が開かれた万治3年(1660)、同町に蔵宿をもつ問屋・小宿によって勧請されました。敷地内には、船乗りたちが目印にする灯台の役割を果たした石灯籠や百度石、江戸時代の水準点などがあります。敷地の入り口にある手水鉢は、北前船の船乗りたちが寄贈したもので、大きな自然石を使用しています。手水鉢に架けられている屋根は低いので、「頭上注意」! URL オフィシャルサイト

  • 秋田県最初の火力発電所跡 秋田県最初の火力発電所跡 no name

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    明治34年に、近江谷英次が秋田電灯会社を設立し、この地に火力発電所を建設しました。燃料は旭川油田産出の石油を用い、秋田県最初の電力供給を開始しました。当初の供給範囲は、土崎柳町新地、大工町、通町、茶町、大町など14町でしたが、初めはわずか70灯ほどであったと伝えられています。

  • 旧塩乃湯 旧塩乃湯 no name

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    明治42年に、土崎港に着く船舶を相手に塩を卸す「能吉組」が作られ、その副業として「塩乃湯」の屋号で銭湯が始まりました。現在の建物は、大正12年の土崎大火で焼失した翌年に建てられたものです。脱衣所の天井には、ハイカラなレリーフが残っています。

  • 嶺梅院(れいばいいん) 嶺梅院(れいばいいん) no name

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    秋田山内松原の山中にあった嶺梅院の始まりである庵を、安永8年(1779)に、土崎湊へ移築して開山したとされています。敷地内には、中国発祥の魔除けの石標「石敢当」があります。県内で数十基しか確認されていない石敢当の一つです。また敷地内の弁天堂の前には、北前船で運ばれてきた出雲石と呼ばれる砂岩でできた灯籠があります。 URL オフィシャルサイト

  • 見性寺(けんしょうじ) 見性寺(けんしょうじ) no name

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    慶長7年(1602)に、佐竹義宣が秋田へ転封するにあたり、随伴してきた宇垣美濃守十蔵秀行が、土崎湊に草庵を結び、戦没者の霊を弔ったと言われています。これが見性寺の始まりです。当初は下酒田町東裏側に創建されましたが、数えきれないほどの火災に遭遇し、大正2年に現在地に移ったとされています。現在地には法興寺がありましたが、天明元年(1781)建立の楼門のみを残し、山形へ移りました。この楼門は秋田市三楼門の一つと称されていました。

  • 金刀比羅神社石製狛犬(せきせいこまいぬ) 金刀比羅神社石製狛犬(せきせいこまいぬ) no name

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    17世紀前半に製作されたと推定されるこの石製狛犬は、福井県足羽山(あすわやま)山麓でのみ産出される通称・笏谷石(しゃくだにいし)で作られています。笏谷石の狛犬は日本海海運によって各地に運ばれており、日本海および琵琶湖沿岸の各地に点在しています。秋田県内では、男鹿市赤神神社、由利本荘市八幡神社、秋田市藤倉神社にも類似の石製狛犬が所蔵されています。おかっぱ状のたてがみが可愛らしい金刀比羅神社石製狛犬は、16世紀以降の日本海海運の歴史を知る上でも貴重です。県指定有形文化財(普段は公開されておりません)。 URL オフィシャルサイト

  • 石造宮殿(いしづくりくうでん) 石造宮殿(いしづくりくうでん) no name

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    嘉永2年(1849)に造立された石造宮殿は、全体が男鹿石製で、内部にはご本尊の日蓮上人石像が安置されています。この石像は、土崎の海中から出現したとされ、このことから實城院を涌出山(ゆじゅつさん)と号したと伝えられています。木製宮殿の形式を石造で忠実に模した近世の石製宮殿は、県内では類例が少なく貴重なことから、平成15年に秋田市指定有形文化財に指定されました(普段は公開されておりません)。

  • 地蔵院(じぞういん) 地蔵院(じぞういん) no name

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    真言宗智山派地蔵院は、虚空蔵尊堂の別当寺として同時期に建立されました。向かいの建物には、雄物川を流れてきたとされる木造の仁王像の仏頭や手足が祀られています。いったいどこから流れてきて、誰が拾ったのでしょうか? URL オフィシャルサイト

  • 土崎図書館 土崎図書館 no name

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    土崎図書館の歴史は古く、明治35年に南秋田郡立図書館として開館しました。現在の建物は平成3年に完成し、港町らしく大型船をイメージして建てられました。玄関前には、土崎で発行された雑誌「種蒔く人」の表紙を拡大した顕彰碑があり、館内には「種蒔く人資料室」が設置されています。【種蒔く人とは】大正10年、土崎で発行した雑誌。プロレタリア文学の先駆的役割を果たすことのみならず、革新運動の思想的・文化的広がりを持ちました。その精神は、人類愛・反戦・平和への希求などでした。中心となって活動したのは、土崎小学校時代の同級生、小牧近江、金子洋文、今野賢三でした。 URL オフィシャルサイト

  • 穀保町の御旅所(こくぼちょうのおたびしょ) 穀保町の御旅所(こくぼちょうのおたびしょ) no name

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    毎年7月21日に、土崎神明社例祭の御旅所祭が行われる場所。曳山行事では、町の南の穀保町と北の相染町で御旅所祭が行われます。各町内の曳山が一堂にそろう御旅所は、曳山そのものを見て楽しむ絶好の機会です。敷地内にある「回国供養塔」や「至北山吹や 池中瀧の星あがり」と書かれた石碑は、海運業で北に仕事に来て、帰郷できなかった人たちを供養したものと思われます。 URL オフィシャルサイト

  • 船着き場跡の石段 船着き場跡の石段 no name

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    【土崎の雄物川】かつて雄物川の河口は、土崎湊(秋田港)内にありました。しかし洪水防止のため、大正から昭和にかけて雄物川の大改修が行われ、新たな放水路が昭和13年に河辺郡新屋町(現在の秋田市勝平地区)に造られました。旧雄物川は秋田運河となり、水位が下がって新たに生じた土地は開拓され、住宅地や工業地帯となりました。今でも土崎地区の御蔵町近辺では、船着き場跡など雄物川が流れていた頃の名残があちらこちらに見られます。

  • 土崎みなと歴史伝承館 土崎みなと歴史伝承館 no name

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    秋田市土崎地区の歴史と文化を伝える施設として、2018年3月24日に開館。ユネスコ無形文化遺産に登録された土崎神明社祭の曳山行事や、土崎空襲、北前船などに関する展示を行っています。 URL オフィシャルサイト