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大正14年旧峰山町市街地(京都府京丹後市峰山町)

大正14年旧峰山町市街地(京都府京丹後市峰山町)

峰山駅が開通した大正14年に町内の中邑印刷が発行した市街地地図を現行地図に当てはめて作成。 大正元年に発刊された『中郡1班峰山案内』に掲載されている商店写真などを配置した。

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大正元年大正元年

旭家

大正元年

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旭家

大正元年 中郡一班峰山案内より 外湯をのある立派な料理旅館だった。

實林銀行峰山支店

大正元年 中郡一班峰山案内より

井隼兄弟運送(井隼畳店)

大正元年 中郡一班峰山案内より 当時は運送業だった。向かいに当時の税務署があった。

増田印房(マスダ印店)

大正元年 中郡一班峰山案内よりゴム印が出たところだったのか。

宮田澄助薬房

大正元年 中郡一班峰山案内より

川瀬薬房

大正元年

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川瀬薬房

大正元年 中郡一班峰山案内より

板材木商 宮田

大正元年 中郡一班峰山案内より

廣瀬善治薬房(廣瀬薬局)

大正元年 中郡一班峰山案内より ○に尾は丹後町に由来の屋号尾和屋。英語の印象的な看板が目立つ。

京都府織物試験場

大正元年 中郡一班峰山案内より

北丹病院

大正元年

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北丹病院

大正元年 中郡一班峰山案内より

髙田安蔵 (旧峰山酒造・髙田酒店)

大正元年 中郡一班峰山案内より;峰山酒造の前は生糸縮緬商だった。

廣瀬誠逸

大正元年

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廣瀬誠逸

大正元年 中郡一班峰山案内より麗峰峰山酒造は大正初期までは和可緑という造り酒屋だった。

松代商店

大正元年

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松代商店

大正元年 中郡一班峰山案内より

石田荘蔵

大正元年

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石田荘蔵

大正元年 中郡一班峰山案内より

峰山税務署

大正元年 中郡一班峰山案内より 官庁街を外れ、税務署だけがここにあった。

和久傳別荘

大正元年 中郡一班峰山案内より 和久伝は、震災前は浪花に本店があり、現中江医院のところに別館を構えていた。 震災後に京銀前交差点に移転し、後に杉谷へ移った。

瀧野新兵衛

大正元年 中郡一班峰山案内より

ミナトヤ薬店

大正元年 中郡一班峰山案内より

野村亀吉商店

大正元年 中郡一班峰山案内より

赤木洋服店

大正元年 中郡一班峰山案内より

中村清兵衛 石本屋

大正元年 中郡一班峰山案内より

松本長兵衛 石本屋

大正元年 中郡一班峰山案内より

蒲田商店(えびすや)

大正元年 中郡一班峰山案内より 当時は呉服屋で屋号は蛭子屋だった。

みなとや 田中商店

大正元年 中郡一班峰山案内より

峰山丹後商工銀行

大正元年 中郡一班峰山案内より 震災前は交差点東にあり、震災後現在地へ移り、跡地は和久傳になる。 後に合併を重ねて京都銀行となる。

峰山町役場

大正元年 中郡一班峰山案内より 吉村伊助町長

諸川呉服店

大正元年 中郡一班峰山案内より

島崎商店

大正元年

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島崎商店

大正元年 中郡一班峰山案内より

小谷直敏(小谷医院)

大正元年 郡一班峰山案内より

万一楼

大正元年

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万一楼

大正元年 中郡一班峰山案内より杉谷の万一は、震災前は金刀比羅神社北隣にあり、町内唯一の3階建を誇っていた。

明治生命峰山代理店 荻野

大正元年 中郡一班峰山案内より

森野儀右衛門商店

大正元年 中郡一班峰山案内より

松本商店

大正元年

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松本商店

大正元年 中郡一班峰山案内より 後のマルマツ

大道粂四郎(御菓子司 大道)

大正元年 中郡一班峰山案内より 当時「金比羅名物磯おこし」があった。松代商店で修行していたため支店になっている。

和久傳本店

大正元年 中郡一班峰山案内より 和久伝は、震災前は浪花に本店があり、現中江医院のところに別館を構えていた。 震災後に京銀前交差点に移転し、後に杉谷へ移った。

吉村伊助商店

大正元年 中郡一班峰山案内より 震災前の吉村商店 吉村伊助は当時の峰山町長

尾瀨淸兵衛

大正元年 中郡一班峰山案内より

中藤商店 中島屋

大正元年 中郡一班峰山案内より 大正14年には中島屋洋服店となっている。

和泉豊太郎 呉服卸商

大正元年 中郡一班峰山案内より

平井筆治郎 牛肉卸小売

大正元年 中郡一班峰山案内より

吉岡良助 鉄砲火薬烽火

大正元年 中郡一班峰山案内より

小林木石商店 材木石材商

大正元年 中郡一班峰山案内より

鞭 貞治 舶来雑貨中井支店

大正元年 中郡一班峰山案内より

常立寺

大正元年

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常立寺

大正元年 中郡一班峰山案内より

森田治郎兵衛墓所

大正元年 中郡一班峰山案内より

峰山尋常小学校

大正元年 中郡一班峰山案内より

中郡会議事堂

大正元年 中郡一班峰山案内より

中郡役所

大正元年

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中郡役所

大正元年 中郡一班峰山案内より

峰山区裁判所

大正元年 中郡一班峰山案内より

桜尾公園

大正元年

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桜尾公園

大正元年 中郡一班峰山案内より

峰山警察署

大正元年 中郡一班峰山案内より

萬染物調整 福井房蔵

大正元年 中郡一班峰山案内より

京都府蚕業取締所峰山支所

大正元年 中郡一班峰山案内より

廣瀬和助

大正元年

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廣瀬和助

大正元年 中郡一班峰山案内より 尾和屋の屋号を持つ廣瀬家は、泉に雑貨商、造り酒屋、薬局の三軒があり、本通り風呂川には「尾和屋橋」が架かっている。

野木洗心館

大正元年 中郡一班峰山案内より

小國歯科診療所

大正元年 中郡一班峰山案内より 明治創業の小国歯科医院、診察室は2階に見える。

峰山郵便局

大正元年 中郡一班峰山案内より

松浦薬局

大正元年

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松浦薬局

大正元年 中郡一班峰山案内より

菓子砂糖 宮田

大正元年 中郡一班峰山案内より

田村洗心軒(田村写真舘)

大正元年 中郡一班峰山案内より 明治創業の田村写真舘は田村洗心軒だった。

峰山製綿所

大正元年 中郡一班峰山案内より

銘酒花月 宮田

大正元年 中郡一班峰山案内より

萬来館

大正元年

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萬来館

大正元年 中郡一班峰山案内より 現震災記念館の薬師ケ丘には料亭があった。 薬師山 萬来館にて 春はうれしや二人そろって花実の酒 夏は涼みの浪花橋 秋は紅葉の全性寺 冬は萬来館で雪見酒 (地元に伝わっている 作者不詳の唄)

切畑紺屋 中西仙吉商店

大正元年 中郡一班峰山案内より

妙経寺

大正元年

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妙経寺

大正元年 中郡一班峰山案内より

全性寺

大正元年

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全性寺

大正元年 中郡一班峰山案内より

縮緬買次業 伊佐清七

大正元年 中郡一班峰山案内より

縮緬仲立業 中村治作

大正元年 中郡一班峰山案内より 大正14年当時の町長

峰山町縮緬紀念碑

大正元年 中郡一班峰山案内より 金属製の縮緬紀念碑は戦時の金属供出で失われた。

淀徳書店

大正元年

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淀徳書店

大正元年 中郡一班峰山案内より 白銀の淀徳商店は、現峰山郵便局前にあった。 峰山案内の発刊元。

大正14年大正14年

府立工業学校(大正11年創立)

大正14年 後の峰山高等学校

完成した峰山駅

大正14年に開通した峰山駅

峰山駅開通祝

大正14年 峰山駅開通を祝して行われた白銀の仮装行列

峰山線全通映画

峰山線全通映画 大正14年に峰山駅が完成し鉄道が開通した際に行われた祝賀会、祝賀行事の記録フィルム「峰山線全通」がのこされています。特にこの1年半後に起きる北丹後地震で失われた町内の山車屋台が勢揃いで巡行する姿をはじめ、新地の芸妓衆、失われる直前の町の様子は見物です。

街

街の変遷

大正時代 昭和2年3月7日の北丹後地震直後 3月16日 「京丹後市の災害」より 震災1・2ケ月後 「京丹後市の災害」より 震災1年後 昭和3年 「京丹後市の災害」より 震災3年後 昭和5・6年頃 震災30年後 昭和36年

明治44年明治44年

金刀比羅神社 百年祭

明治44年 金刀比羅神社鎮座百年祭織元の太刀振り明治44年の祭典記録では、太刀振りは織元となっている。大正14年には吉原がつとめている。戦後に11区の五幸太刀振りとなる。 大正の写真と同じミナトヤの看板が写っている。

金刀比羅神社 百年祭

明治44年 金刀比羅神社鎮座百年祭 泉区 芸屋台 演し物は「義経千本桜」震災前の各字(区)には、山屋台、芸屋台、吹貫(ふきぬき)があり、11字(区)で30基の山車屋台を有していた。

金刀比羅神社 百年祭

明治44年 金刀比羅神社鎮座百年祭 新地芸妓衆の元禄花見踊り 吹貫(ふきぬき)の幟に白銀と見える。

昭和昭和

震災復興の交差点 北面

昭和2年の震災後、京銀前交差点北面。 東にあった商工銀行(後の京都銀行)が北西角に移転し、北東側には3階建を誇る和久傳が完成。

震災復興の交差点 東面

昭和2年の震災後、復興整備で作られた駅道を望む。京銀前交差点東面。

大正大正

大正の浪花

本通り大橋より北面

御旅橋 渡り初め式

大正4年に完成した御旅橋の渡り初め式

御旅橋の建設

大正4年開通の御旅橋建設中

河川改修

大正9年 曲線の多かった小西川の市街地箇所を直線に改修した。

水道紀年碑 水源地

峰山の上水道は大正4年に完成し、全国で29番目府下で4番目の早さだった。 町長として尽力し、多額の私財を投じた吉村伊助氏の威徳を讃えた「吉村伊助君紀功碑」が建つ。

大橋

大正時代の大橋 西面

地図地図

大正14年の旧市街地図

峰山駅が開通した大正14年に町内の中邑印刷が発行した市街地地図を現行地図に当てはめて作成。 大正元年に発刊された『中郡1班峰山案内』に掲載されている商店写真などを配置した。

大正の神社大正の神社

鳥瞰絵図

大正の神社

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鳥瞰絵図

明治期に描かれた境内の鳥瞰絵図 大正期の境内写真

大鳥居

大正の神社

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大鳥居

大正期の大鳥居震災後は倒れた鳥居を再建して現在に至る。 下は大正8年の府社昇格で社標が建てられた際。

境内と万一楼

大正の神社

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境内と万一楼

大正期 境内で撮られた写真。 奥にみえるのが万一楼。 石灯篭の配置が現在と異なる。

随身門

大正の神社

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随身門

震災前の神門。 神仏混淆のお堂の様な造りの随身門だった。

拝殿と回廊

大正の神社

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拝殿と回廊

震災前は拝殿の前に立派な回廊が延びていた。瓦葺きのお堂のような造りだった。

佐々木社と秋葉社

震災前は本殿の右奥に佐々木社が配されていた。 右手前が秋葉社。 佐々木社は藩邸街であった峰山小学校辺りに祀られていたが、学校整備の際、明治8年に当社本殿奥へ遷されていた。