西陣・千本かいわいMAP

コロナ禍で、西陣・千本(京都市)かいわいでも、まちなかの様子は大きく変わりました。身近なものの大切さに、あらためて気付かされる日々です。 わたしたちの暮らしも、なりわいも、少し、発想の転換が必要な時期なのかもしれません。 半径数百メートル、徒歩圏内…「ご近所」の良さを、今、あらためて見つめ直したい、と思います。 お気に入りのお散歩コース、いこいの場、身近な買い物のお店。 こんな日には必ずここ! な、とっておきの場所。甘酸っぱい思い出の地。 そんな「地元」の情報を、 ちょっと広めの ご近所さんたちと共有しましょう。「地図」に載せて、地域のかたがたが一覧できる ようにします。
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閻魔前町から訪ねる三寺院
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閻魔前町から訪ねる三寺院 千本釈迦堂(大報恩寺)、千本閻魔堂(引接寺)、釘抜き地蔵(石像寺) 天と地が繋がる広大な精神と現実が接続する稀有な界隈。 上記に関連した場所で必見は/七野社、上善寺。興味を持って自らで成立経緯を調べて訪れることで面白さが十倍返しな場所ばかりです。 カフェとしては、Laughterさん。 2020年10月オープン。店内の蒸気機関のような焙煎機とタイから直接買い付けた豊かな香と味わいのコーヒーが楽しめる西陣時間(千本⁉︎)を楽しめる名所となる予感。マスターの人柄抜群でコーヒー時間が更に楽しくなること保証!後は、無数にある石仏を楽しむ。
「丸物百貨店」があった
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今(2021年3月現在)は更地になっている、京都信用金庫の施設があったところは、元は丸物百貨店(現在のヨドバシカメラ)の支店があった。2階に卓球会館があった。そのあと塾(おそらく、そろばん)になった。
カフェバー「天久」があった
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戦後、千本下立売下ル東側に「天久」というカフェバーがあった。大正時代風にしていて、おしゃれなエプロンをした女給がいた。その建物は今は岐阜県恵那市の日本大正村に移設されて喫茶店として使われている。

昭和30年代後半、商店街にとっては最高の時代だった。どの店も賑わった。町家づくりの店が、洋風に見せるため戦後は張りぼて(看板建築)にした。千本繁栄会商店組合もできた。食料品関係の店が多かった。乾物店を営んでいたが、当時、鮮魚も扱った。
映画館「昭和館」があったあたり
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戦後、若い人が遊びに行ったのは映画、麻雀、玉突き、パチンコ。映画館「昭和館」(現在のスギ薬局。元ニッショーストア)の南隣に麻雀屋があった。ニッショーストアが拡張するとき麻雀屋の部分に広げた。それで、その部分の建物が低い。
地図に無い地名「鍋町」
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仁和寺街道(の特に千本通~土屋町通 間)を、地元の年配の人たちは「なべちょう」と呼びます。幕末に東側にあった「佐賀鍋島藩屋敷」に近いから、あるいは千本通や中立売通と高低差のある「鍋底のような地形」から、もう 一説は、同じ鍋島でも、豊臣家の主力家臣で、のちに初代佐賀藩主となった鍋島信濃守勝茂のゆかりとも。たしかにこの辺は信濃町。地図に無い地名。さて真相は?

千中の時計塔。昔は千本通ぞいの店、家の人が時間を見るため外に出て見ていました。大正時代末期から昭和初期に建てられました。京都市の景観施策で近年に広告看板が外され、昔の時計が現れました。昔ここにあった木村時計店の「村木」の字があります。
西陣に残る唯一の映画館
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今の「千本日活」は、映画館としては昭和36年に「五番街東宝」としてオープンしました。こけら落としには、宝田明や浜美枝も来演したようです。ここは、昔は「遊郭事務所」でした。
米屋さんがおいしいハンバーグを提供『洋食屋キッチンパパ』
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創業安政3年の米穀店「大米米穀店」の奥でハンバーグとおいしいごはん(精米したてのお米)をランチとディナーで提供。米穀店なので「ごはん」はもちろんおいしいのですが、ハンバーグも絶品で有名。肉汁たっぷりで、自家製デミグラスソースがとてもおいしく、地元の方以外でも遠方から食べに来られる。