西陣・千本かいわいMAP
コロナ禍で、西陣・千本(京都市)かいわいでも、まちなかの様子は大きく変わりました。身近なものの大切さに、あらためて気付かされる日々です。
わたしたちの暮らしも、なりわいも、少し、発想の転換が必要な時期なのかもしれません。
半径数百メートル、徒歩圏内…「ご近所」の良さを、今、あらためて見つめ直したい、と思います。
お気に入りのお散歩コース、いこいの場、身近な買い物のお店。
こんな日には必ずここ! な、とっておきの場所。甘酸っぱい思い出の地。 そんな「地元」の情報を、
ちょっと広めの ご近所さんたちと共有しましょう。「地図」に載せて、地域のかたがたが一覧できる
ようにします。
update date: 2021.08.01
このマップ(地図)を見るNumber of spots : 33spots
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平安中華商店
このあたり、初めて中華物産店ができました。家の近くで中華物産を購入できて、嬉しいです。
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愛染寺の思い出
千本中立売西入「愛染寺」。(情報記入者が)大学時代、先輩の下宿先で住職がとても良い方だった。
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閻魔前町から訪ねる三寺院
閻魔前町から訪ねる三寺院 千本釈迦堂(大報恩寺)、千本閻魔堂(引接寺)、釘抜き地蔵(石像寺) 天と地が繋がる広大な精神と現実が接続する稀有な界隈。 上記に関連した場所で必見は/七野社、上善寺。興味を持って自らで成立経緯を調べて訪れることで面白さが十倍返しな場所ばかりです。 カフェとしては、Laughterさん。 2020年10月オープン。店内の蒸気機関のような焙煎機とタイから直接買い付けた豊かな香と味わいのコーヒーが楽しめる西陣時間(千本⁉︎)を楽しめる名所となる予感。マスターの人柄抜群でコーヒー時間が更に楽しくなること保証!後は、無数にある石仏を楽しむ。
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狭い お好み焼き屋さんがあった
(平成のはじめごろ)千本下立売交差点北西の角にお好み焼き屋さんがあった。とにかく狭くて、ひと一人通れるぐらいの通路しかなかった。
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大正製パン所
大正製パン所。パンが美味しい
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越後屋多齢堂
越後屋多齢堂。カステラは値段もお手頃
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SENBON花ふじ
SENBON花ふじ。花の種類も多い。渡す相手によってオーダーメイドの花束とかを作ってくれる
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美齢
美齢(めいりん)…中華料理店(元誓願寺通大宮東入ル)。お手頃な価格。
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カフェ「ラインベック」
カフェ「ラインベック」。朝はママ友の来店が多い。お手頃価格。
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釘抜地蔵
釘抜地蔵尊。釘抜きさんは頭痛、腹痛の時、釘を抜いて助けてくださるといいます
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ゑんま堂
ゑんま堂(引接寺)。閻魔様は、うそを言うと舌を抜かれると(情報記入者が)子どもの頃は言われ、こわかった
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電車が走るお店
相生食堂(千本出水)(店内に)電車が走るお店
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大関
大関(千本今出川上る)。安くておいしい。食事の種類も豊富。量も多い。
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お寺が多い
七本松通り。お寺が多いので、歩くと楽しいです。
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鳥松精肉店さん
とてもキレイに処理をしてくれて、下ごしらえが楽ちんで、美味しいです。人柄もすてきです。
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米屋さんがおいしいハンバーグを提供『洋食屋キッチンパパ』
創業安政3年の米穀店「大米米穀店」の奥でハンバーグとおいしいごはん(精米したてのお米)をランチとディナーで提供。米穀店なので「ごはん」はもちろんおいしいのですが、ハンバーグも絶品で有名。肉汁たっぷりで、自家製デミグラスソースがとてもおいしく、地元の方以外でも遠方から食べに来られる。
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昔、川が流れていたそうです
七本松通には昔、道路の西側部分に幅2・5mぐらいの川が流れていたそうです。
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昔、空き地で遊んでいた
千本下立売西入ルに昔、印刷会社の空き地があり、そこで遊んでいた、地蔵盆もそこであった。
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猿が店内にいるラーメン屋があった
七本松下立売東入ルに、サルが店内にいるラーメン屋があって、小学校の帰り(50年ほど前)にいつも見て帰っていた
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西陣に残る唯一の映画館
今の「千本日活」は、映画館としては昭和36年に「五番街東宝」としてオープンしました。こけら落としには、宝田明や浜美枝も来演したようです。ここは、昔は「遊郭事務所」でした。
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千中の時計塔
千中の時計塔。昔は千本通ぞいの店、家の人が時間を見るため外に出て見ていました。大正時代末期から昭和初期に建てられました。京都市の景観施策で近年に広告看板が外され、昔の時計が現れました。昔ここにあった木村時計店の「村木」の字があります。
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「ローム」創業の地
学生ベンチャーとして西陣の地に生まれ、半世紀前に西院へ移転したローム(創業当時は「東洋電具製作所」)の跡地は、千本下長者町の近辺
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地図に無い地名「鍋町」
仁和寺街道(の特に千本通~土屋町通 間)を、地元の年配の人たちは「なべちょう」と呼びます。幕末に東側にあった「佐賀鍋島藩屋敷」に近いから、あるいは千本通や中立売通と高低差のある「鍋底のような地形」から、もう 一説は、同じ鍋島でも、豊臣家の主力家臣で、のちに初代佐賀藩主となった鍋島信濃守勝茂のゆかりとも。たしかにこの辺は信濃町。地図に無い地名。さて真相は?
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ぱんだんご
仁和寺街道天神筋西入ル「ぱんだんご」。パンダの形の団子。かわいくて柔らかくておいしい!
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建物外壁に天使が
天神筋を仁和寺街道下がった所の建物の外壁に、天使がいます。探してみてください。
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映画撮影所跡
天神筋一条下ルの法華堂。1912年から1918年の6年間、日本映画の産声高く、ここは日活関西撮影所(法華堂撮影所)だったのです。チャンバラが繰り広げられていたのかも。
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カフェバー「天久」があった
戦後、千本下立売下ル東側に「天久」というカフェバーがあった。大正時代風にしていて、おしゃれなエプロンをした女給がいた。その建物は今は岐阜県恵那市の日本大正村に移設されて喫茶店として使われている。
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戦後の千本通
昭和30年代後半、商店街にとっては最高の時代だった。どの店も賑わった。町家づくりの店が、洋風に見せるため戦後は張りぼて(看板建築)にした。千本繁栄会商店組合もできた。食料品関係の店が多かった。乾物店を営んでいたが、当時、鮮魚も扱った。
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映画館「昭和館」があったあたり
戦後、若い人が遊びに行ったのは映画、麻雀、玉突き、パチンコ。映画館「昭和館」(現在のスギ薬局。元ニッショーストア)の南隣に麻雀屋があった。ニッショーストアが拡張するとき麻雀屋の部分に広げた。それで、その部分の建物が低い。
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戦時中の千本通
戦時中は灯火管制で、街灯も無かった。千本通のすべての家に切れ目無く、目線の高さ、2mぐらいの所に白い紙をブロックのように貼っていた。敵機来襲を知らせる区役所のサイレンが鳴ると下校で、うれしかった。
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建物疎開の跡
千本中立売のマクドのあるあたりは終戦前、建物疎開(取り壊し)に遭った。今もバス停のあたりの道が広い。戦後はミニゴルフ場があった。その後、タクシー会社やガソリンスタンドにもなった。
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田村ふとん店
ふとん店だが、元は丹後から出てきて生糸業をしていた。製綿の工場もあった。奥行き33mの奥から10mは工場。戦時中は統制で、いくらでも作って売れるというものではなかった。
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「丸物百貨店」があった
今(2021年3月現在)は更地になっている、京都信用金庫の施設があったところは、元は丸物百貨店(現在のヨドバシカメラ)の支店があった。2階に卓球会館があった。そのあと塾(おそらく、そろばん)になった。