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地域の行事
逸話・伝承

かつて、クラブ活動をさぼった中学生たちが訪れていた小さい洞穴。中に進むと川のように水が流れており、かつて戦争に巻き込まれた方の遺骨を発見することが出来た。当時、中学生の一人が面白がってその遺骨をろうそくで燃やし、ブルーの火花を飛ばして遊んでいたが、その学生は後に骨折して罰が下ったらしい。 住所 〒903-0811 沖縄県那覇市首里赤平町2丁目35
かつての町並み

桃原町の公民館の跡地で、桃原地域の”むらやー”としての機能を果たしていた場所。かつて、現公民館の駐車場入り口前にある急な階段坂から県道28号線にかけての範囲は運動場であった。ちなみに、現在の県道28号線は、かつてコンクリートで作られており、雨降り時にバスが止まろうとした際に一回転してしまったほど滑りやすかった。 住所 〒903-0822 沖縄県那覇市首里桃原町2丁目1−22

かつて首里高校の裏の通りにあった鮮魚市場。朝方、糸満でとれた新鮮な魚を、そのままおばさんたちがアルミのたらいに魚を乗せて売っていた。彼女たちはバスに乗って首里まで来ていたので、バスの中は魚のにおいで充満していたそう。「ゆーこんそーりー(?)訳:魚かいませんかー」という声掛けで市場を回り、刺身用、煮つけ用など客の用途に合わせてその場で魚をさばいて渡してくれたという。 住所 〒903-0826 沖縄県那覇市首里寒川町1丁目3−2

昭和25、6年頃に設立。当初はテント小屋でそれから瓦葺き仕様になったが、天井が存在していなかったため、映画の音が外に漏れていたという。かつては、笛吹童子、怪盗自来也や紅孔雀など子供向けの東映の映画を上映していた。また、仲田幸子が子役の頃には琉球芝居を行っており、相撲小屋のような3メートルほどの竿にのぼりがあって、与座一行、牧志一行などに代表される芸能団が芸を披露していたのだそう。 住所 〒903-0823 沖縄県那覇市首里大中町1丁目5
首里バスのバス停跡③
かつての町並み

首里市民のための市営バスの停留所。山川、鳥堀を通る路線で、首里駅の近くまで停留所は4か所設けられていた。非常に間隔の短いバス停だったため普段は十分に歩ける距離であったが、雨の日など、通学が面倒で困難になった際によく利用されていた。 住所 〒903-0824 沖縄県那覇市首里池端町34
首里バスのバス停跡②
かつての町並み

首里市民のための市営バスの停留所。山川、鳥堀を通る路線で、首里駅の近くまで停留所は4か所設けられていた。非常に間隔の短いバス停だったため普段は十分に歩ける距離であったが、雨の日など、通学が面倒で困難になった際によく利用されていた。 住所 〒903-0816 沖縄県那覇市首里真和志町1丁目25−2
首里バスのバス停跡①
かつての町並み

首里市民のための市営バスの停留所。山川、鳥堀を通る路線で、首里駅の近くまで停留所は4か所設けられていた。非常に間隔の短いバス停だったため普段は十分に歩ける距離であったが、雨の日など、通学が面倒で困難になった際によく利用されていた。 住所 〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町1丁目10
いっせんまちやぐゎー②
かつての町並み

当時の小売店・駄菓子屋。昔、飴玉を1セントで買うことができたため、いっせんまちやぐわぁーと呼ばれていた。 住所 〒903-0823 沖縄県那覇市首里大中町1丁目5−3
当蔵大通り沿いの商店街②
かつての町並み

かつて当蔵大通り沿いに商店街や食堂などの飲食店があり、昼夜問わず琉大生が訪れており繁盛していた。ローソンの駐車場を含む周辺一帯の駐車場は全て商店街だったエリアであったと考えられる。 住所 〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町2丁目13
当蔵大通り沿いの商店街①
かつての町並み

かつて当蔵大通り沿いに商店街や食堂などの飲食店があり、昼夜問わず琉大生が訪れており繁盛していた。ローソンの駐車場を含む周辺一帯の駐車場は全て商店街だったエリアであったと考えられる。 住所 〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町1丁目7

現在、県立芸術大学の敷地内となっている龍潭との境目の路地奥に、中城御殿跡地に移される前の博物館(ペルリ記念館・首里博物館)が存在していた。当時は庭園付きの小さな博物館だったらしい。路地は当時通学路になっていたので、下校途中の小学生が興味本位で庭園をちらっと覗き見していた。 住所 〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町1丁目6−1
家庭生活

ハベル橋と呼ばれる橋があり、その下へ降りた先にあるヒージャー。このあたりでかつてウチカビを製造していたという。当時は”カビウテー”と、筒やハンマーを用いていた。 住所 〒903-0821 沖縄県那覇市首里儀保町4丁目45

宝口フィージャー。水の出る場所は上下2か所あり、上は飲み水用、下が生活用水用であった。場所としては儀保町であるが、桃原町の人たちも洗濯に来ていたらしい。 住所 〒903-0821 沖縄県那覇市首里儀保町2丁目10

かつて豚や牛をとさつしていた場所。ウチンガーフィージャーという井戸が道中にあり、とさつ場での生活用水として昭和25年ごろまで使用されていた。現在水は出ないが、2~3年ほど前までは集落内のとある高齢女性が洗濯用水のため同井戸を利用していた。 住所 〒903-0822 沖縄県那覇市首里桃原町2丁目64
子どもの遊び

金豚という大きい白い豚がゆっくり歩いていくを見ることが出来た。小学校の前に川があり、ここで子供たちは水の流れをせき止めてプールを作り、丸裸になって遊んでいた。川の水は泥水で、乾くと泥が体にまとわりつくため、帰宅すると母親にいつも叱られていたそう。また、城北小学校の靴箱の下のすのこを川に持って行き、これを水面に浮かべて乗っかる遊びがあったが、たびたび先生に捕まって怒られていた。 住所 〒903-0804 沖縄県那覇市首里石嶺町1丁目162
村学校(浦添御殿、瑞泉の塔)
子どもの遊び

桃原公民館を上がった所にあった塔。段差があり四角(おそらく岩)のようなものに”瑞泉の塔”と記されており、小学生がよく遊び場にしていたという。戦争で焼け落ちた学校があった関係で、遺骨などを収容していた。現在でもご存命の方が訪れている。 住所 〒903-0822 沖縄県那覇市首里桃原町2丁目1−23
松山御殿(桃原農園)
子どもの遊び

尚家の農園があった場所。もともとは、土地の(尚家の)高齢男性が琉球王朝時代の台所のお手伝いをしていたため、ここに家を作ったと言われている。農園内は木や池、井戸などが色々あり、子供たちがよく遊んでいたという。 住所 〒903-0822 沖縄県那覇市首里桃原町1丁目4

現在は小さな公園だが、戦前はかなり広い遊び場で、2、3メートル台の高いハイビスカスを見ることが出来た。ここには、”もちいし”と呼ばれる青年会の人々が力自慢をするための丸い石が置いてあった。戦時中は、”コールマーマーセー”と呼ばれるコマ回し小学校低学年の子供たちに人気だった。また、”かてめんそーれー”と呼ばれる、現在の”ケードロ(泥棒と警察)”のような遊びの鬼ごっこもよく行っており、コマが回っている間、”盗人と巡査”に分かれ捕まえ勝負をして駆け回っていた。 住所 〒903-0822 沖縄県那覇市首里桃原町2丁目63−2

この辺りでは、かつて会議用テーブル2つ分の倍ほどの大きさの小高い岩が存在しており、この岩に座ると首里劇場で上映している映画を全て覗き見ることができたそう。座り心地も抜群だったため、子供たちの映画覗き見は日常茶飯事だった。 住所 〒903-0823 沖縄県那覇市首里大中町1丁目6
光の子幼稚園の後ろの林山
子どもの遊び

かつて昆虫採集に絶好の林があり、クワガタムシやカミキリムシ、琉球キノボリトカゲが良く捕れた。子供たちは、オスのクワガタムシやキノボリトカゲはお互いに喧嘩をさせ、カミキリムシには太い糸を切らせる勝負をしていた。 住所 〒903-0825 沖縄県那覇市首里山川町1丁目21

バスの修理工場同様、ここでも戦後石を削り取ってできたくぼみが放置され、この地に雨が降ると水たまりが出来た。この辺りは広い土地でよく水が溜まり、深いところではだいたい半年から一年ほど溜まったままであったという。子供たちは、その水溜まりに生息していたオタマジャクシやアメンボを獲って遊んでいたそう。 住所 〒903-0823 沖縄県那覇市首里大中町2丁目14

昭和20年~30年頃の戦後、サンゴ石灰岩を採取するために、米軍が同地を掘り下げていたため、その切り取られた跡に、当時市営バスであった首里バスの修理工場が存在していた。ここでは、よく小学生の子供たちが潤滑油を工場から貰い、自身の三輪車や自転車の車輪のメンテナンスに励んでいたそう。 住所 〒903-0823 沖縄県那覇市首里大中町1丁目26−15

水源は龍潭で、沖縄で唯一の淡水プール。1947年、1954~55年頃、プールを作る際に寄付を募り、首里中学校や首里高校の生徒らの懸命な奉仕活動の末に建設された。当時、娯楽施設がほぼ無かった子供たちにとって、首里プールは貴重な遊び場となっており、また学校の水泳大会は全てこのプールで行われていたという。 住所 〒903-0825 沖縄県那覇市首里山川町1丁目17−2

かつて”みずぐわぁー”と呼ばれる石垣で作られた排水溝があり、その途中に石を積んでダムのように塞き止めると魚が溜まるため、子供たちは夢中になって手づかみで魚遊びをしていた。 住所 〒903-0816 沖縄県那覇市首里真和志町1丁目25
旧琉球大学の男子学生寮
子どもの遊び

現在の沖縄県立芸術大学にあたる場所。小さい子供たちがそこでよく野球をしていたため、窓ガラスが頻繁に割れていたという。 住所 〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町1丁目4
リングムイ(蓮小堀)
子どもの遊び

埋め立てて公民館になる前は、首里市の頃の市営バスがあった。ウォータープールが併設されていたようで、当時の小学生がオキグサを集めボートを作って遊んでいた。 ②りんぐむい(蓮小堀)は蓮がたくさんあった大きな池で、子供の頃は蓮の中の根っこのほうにいた鰻を掴まえて遊んでいた。昔ある男が、庶民のために盗みを犯した後、蓮の葉っぱを切って追われて、リングムイで隠れていたが最終的に侍に刺されたという伝承が残されている。 住所 〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町2丁目8

住民からはいゆぐむい(魚小堀)と呼ばれていた。祖父が孫を連れて魚の釣り方を教える場所であった。釣り等の遊びをしながら生態系の学習が出来たため、夏休みの宿題の植物採集や昆虫採集にも最適な場所であった。昔は学校帰りの生徒がそこで遊泳したり、ホテイアオイと呼ばれる浮草をたくさん集めて重ねたり、いかだを作って池の端から端まで渡ったりする遊びをよくしていた。 住所 〒903-0816 沖縄県那覇市首里真和志町1丁目25−2

西原にあるサトウキビ工場から来る6トン車が、歩くスピードでのこのこ上がってきていた坂道。トラックに積んでるサトウキビは、当時の中学生によく後ろから登られてひっこ抜かれていたそう。 住所 〒903-0806 沖縄県那覇市首里汀良町2丁目3

近くに“うどぅんどぅんち”と呼ばれる場所があり、そこに生えていた大木を中心に遊び場・探検の場となっていた。クワガタを採ったり、”そうみんばこ”と呼ばれる板を木に打ち付けて、木の上にすみかを作ってご飯を食べたり、別の木を探してきてY字型に成形し、”パッチンコー”と呼ばれる道具を作ってセミを打ち落とし、焼いて食べていたりしていたそう。 住所 〒903-0811 沖縄県那覇市首里赤平町2丁目41
ふとぅきぬひら(仏の坂)
子どもの遊び

現在の虎頭山と呼ばれている場所。市指定に値するような立派な石畳で、幼少の頃に赤平方面から坂を上がって遊んでいた。 住所 〒903-0811 沖縄県那覇市首里赤平町2丁目41
地域のたまり場

昔ながらの理髪店。「ゆんたかぁだんぱちゃうってせぇー」(雑談は理髪店に行ってやりなさい)という言葉があったように、当時主に男性が雑談をするために集う場所として機能していた。また、散髪をする人の他には、碁を打ちに来る人、雑誌を見に来る人もいたそう。この辺りには3つの理髪店があった。 住所 〒903-0816 沖縄県那覇市首里真和志町1丁目58

昔ながらの理髪店。「ゆんたかぁだんぱちゃうってせぇー」(雑談は理髪店に行ってやりなさい)という言葉があったように、当時主に男性が雑談をするために集う場所として機能していた。また、散髪をする人の他には、碁を打ちに来る人、雑誌を見に来る人もいたそう。この辺りには3つの理髪店があった。 住所 〒903-0816 沖縄県那覇市首里真和志町1丁目60
