萩まちじゅう博物館 明木おたからマップ

山口県萩市の明木エリアのおたからマップです。 平成26年3月時点での情報です。現在変更になっている場合もありますので、予め、ご了承ください。
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慶長年間萩築城に大変貢献し、その褒美として明木村民の通行税を免除することを願い出た「明木の恩人」古戦場の彦六と菅蓋の又十郎を顕彰する石碑です。彦六の誕生地である古戦場区民の発案で二人の偉業を伝えるための碑を建てました。
小野山神社(小野山公民館になっている)
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小野山神社の敷地に建てられた公民館です。倉庫を除くすべてが神社として登録されており、「おかちさま」や荒神様、観音様が祀られています。小野山ではお祭りの多くがここで行われます。

藩政時代、萩往還悴坂の下り道には石畳が敷かれていました。烏帽子岩付近の石畳は復元されたものですが、そこからさらに下ったところには当時のものも残されていて、石畳の外側には大きな石を使用し、内側には小さな石を詰めるという、当時の工法を見ることができます。
下横瀬公民館(旧明木図書館)
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昭和3年(1928)に2代目の明木図書館として建てられ、その後昭和33年(1958)に下横瀬地区に移築され、現在は下横瀬公民館として使われています。昭和初期を代表する典型的な洋風建築です。

明木の恩人と言われる彦六・又十郎のうち、菅蓋(すげぶた)の又十郎の生誕地と言われる場所です。彦六・又十郎の2人は、萩城を築城する際に活躍したことで殿様の目に止まり、その褒美として明木に課せられていた税金の免除を殿様に願い出たことから、明木の恩人として称えられています。

明治10年(1877)、西郷隆盛に呼応して挙兵した旧萩藩士の町田梅之進が、佐々並で県知事の軍と交戦し負傷、退いて自害した場所です。半円形の碑は、昭和52年(1977)百年忌に有志により建てられたものです。

赤間関街道(あかませきかいどう)は萩から下関(赤間関)を結ぶ街道で、中道筋(なかみちすじ)・北道筋・北浦筋の3つのルートがありました。中でも中道筋は最短ルートとして主要街道となり、萩唐樋札場を起点に明木までは萩往還と重複し、明木堂尾(どうお)の一里塚から分岐して雲雀峠(ひばりとうげ)を越え、各宿駅を経て赤間関に至る80.8kmの行程です。幕末には政治や外交のため、多くの志士たちが往来しました。
農産物加工販売所「つつじ」
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明木の農産物や加工品を購入できる道の駅です。 ↓施設の詳細はウェブサイトにてご確認ください 【農産物加工販売所「つつじ」】https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=1100185
