History of architecture:Tokyo (1844)

Map of Edo around 1840's (From Wikimedia Commons)
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「雪晴(本郷赤門)」高橋弘明画 大正15年(1926) 文京ふるさと歴史館蔵 文政10年(1827)、加賀藩前田家13代斉泰のもとに、江戸幕府11代将軍・徳川家斉の娘・溶姫を正室として迎え入れる際に建てられた朱塗りの門。明治期以降は東京大学の赤門として、また本郷のシンボルとして親しまれている。重要文化財。(文京ふるさと歴史館)

『新撰東京名所図会』「小石川区之部其三 護国寺之図」 山本松谷画 明治39年(1906) 文京ふるさと歴史館蔵 天和元年(1681)、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉が、生母・桂昌院の願いにより建立。将軍家の祈願寺であったが、明治期以降は、三条実美、山県有朋ら、政界・財界などの要人、著名人などの墓地が造成された。境内にある本堂、月光殿は重要文化財に指定されている。(文京ふるさと歴史館)

『明治東京建築写真聚覧』 昭和11年(1936) 文京ふるさと歴史館蔵 明治9年(1876)、東京大学構内(現在の鉄門近く)に建てられた。明治44年(1911)に赤門脇に、さらに昭和44年(1969)現在地(小石川植物園内)に移築された。建築当初の時計塔は改変されたが、東京に残る擬洋風建築の校舎として貴重で、重要文化財に指定されている。(文京ふるさと歴史館)

「根津神社秋色」 小林清親画 明治11年(1878)頃 文京ふるさと歴史館蔵 もと団子坂の北側(千駄木)にあったものを、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉が、継子・家宣の産土神として、宝永3年(1706)、現在地に社殿を造営し遷宮した。戦災で被害を受けたが修復され、唐門、透塀、楼門などが重要文化財に指定されている。つつじの名所としても知られている。(文京ふるさと歴史館)
