明智光秀を破った赤井直正が治めていた黒井の城下町の古地図
11件のスポット
legend
昔からある水場。なぜか枯れないらしい。昔は馬の水飲み場として使用されていた。
黒井は地質が悪く、黒ずんだ水が出ていたので、黒井と名付けられた。西は杉の下(常住寺)、東は小山地区と芝町地区の3箇所のみで、綺麗な水が湧き出ており、町人はこの3箇所の飲み水しか汲むことができなかった。
地蔵菩薩のよだれかけで隠すかのように、道標が地蔵菩薩の体に掘られている。一説ではただの道標だといたずらがされたため、いたずら防止のために地蔵の体に掘ったと言われている。
このあたりは西地下(にしじげ)と呼ばれていた。西の街の終わりという意味で当時は農民が住んでいた。
徳川家光, 春日局 徳川家光の乳母で知られる春日局(斎藤福)が幼少期に遊んでいた道と言われている。福という名前から福ヶ坂と呼ばれるようになった。
ここは弓矢の練習場だった。現在では棚田のようになっているが、当時の名残である。
historical object
当時の寺は砦の役割を持っており、僧兵が常住寺に駐屯しており敵が攻めてきたときは街の中に敵兵を通さないようにしていた。
赤井直正の居城
下級武士の住処 下級武士が住んでいた。今では墓所になっているが、今でも当時武士が住んでいた名残があり、山の上に平らに整地された場所がある。
赤井直正,下館 赤井直正は戦時以外はここに住んでいた。このような城主が普段住んでいた場所を下館(しもやかた)と呼ぶ。戦時になると赤井直正は家来とともに黒井城に登り籠城していた。
sightseeing
赤井直正 赤井直正が信仰した神社。参拝道は桜並木がならび、春にはとても綺麗な桜が見れる。