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1930年代前半に京都市北部の外周道路かつ路面電車の通路として北大路通が開通した際に北大路橋がかけられた。 それまでは、今の北大路橋の北側に掛けられていた中加茂橋を経由していた。現在の西岸公衆トイレ付近から京都議定書モニュメント附近にかけ、鴨川に対して直行して架橋され、道はそのまま京都府立大学南側を通り、鞍馬街道に接続していた。

湯本文彦は鳥取の出身で京都府庁に勤務し、多くの資料調査に従事。 初めての京都の通史ともいえる『平安通志』を執筆した。 京都においてアーカイブズを語るときに必出の人物。 墓所は京都府立大学に隣接する大乗寺にあり。実はサミットの成功を期してお参りに行きました。 資料 湯本の代表作『平安通志』(京の記憶アーカイブ)
三面庇建物(平安初期)
ポイント

平安初期の建物跡。京域外では最大級の建築と言われ、この附近の有力豪族であった賀茂氏と関連があると考えられている。新資料館建設の際に確認され、新館南東角には解説版等がある。 なお、同時に、近代半ばまで、上賀茂村と下鴨村の境となっていた河川跡も確認された。

京都府立大学の南側の住宅街のなかに所在した古墳跡。 現在は住宅敷地のわずかな高まりで存在を感じられるのみ。 王塚と呼ばれ、石室もあったとされる。 近世から昭和初期までの絵図・地図には鞍馬街道のランドマーク的に描かれている。

昭和初期の植物園(京の記憶アーカイブ)1924年(大正13)に「大典記念京都植物園」として開園。1946年から連合軍に接収され住宅建築がなされた。返還後に再整備を経て、1961年に開園された。その様子は、川端康成『古都』に作品上の主要な場面として描かれている。 典拠 http://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/detail/1083761

1963年に京都府立総合資料館として北山通と下鴨中通の角地に開館。2017年に現在地で新館が全面オープン。「京都に関する資料等を総合的に収集し、保存し、展示して調査研究等一般の利用に供すること」を目的とし、博物館機能・図書館機能・文書館機能を兼ね備えた施設として、京都研究の拠点となっていた施設。
京都コンサートホール
ポイント

1995年建設。もとは府の所有地であったが、京都テルサ(京都勤労者総合福祉センター)の用地と交換して京都市が建築したクラシック専用ホール。磯崎新設計。伝統ある京都市交響楽団の本拠地。

